忍者ブログ
栃木県宇都宮市の空間プロデューサーの日々報告
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

昨日のTVで、五十嵐太郎氏が「景観」について話していました。
彼は東大出身の建築論者で現在東北大学助教授。
学生時代から仲間達と新興宗教建築やオタク空間についての第一人者でした。
近頃は「街」にも深く関わり、一般的露出も増えてきました。
この番組では鋭い提案をしているにも関わらず、なぜか棒読みでしたが。

途中から見たので流れはよくわからなかったのですが、
都で進めている日本橋計画の話題を取り上げていました。
要は、明治期の日本橋の景観が最高だから、首都高を外して親水空間を創ろう。
それでこそ世界に誇れる景観になる、というモノ。
うん、いいんじゃないか、
でも、なぜわざわざ壊してまで?そんなに首都高は悪いのかい?
と、この提案には賛成できないでいました。
「復元」ってなんだかヤダ。
それに首都高の景観は大好き。
大学入学時に上京して、新宿副都心よりも首都高に興奮したものです。
授業を休んでは、六本木等のJCTを
隣接するビルの非常階段からぼーっと眺めているのが好きでした。
大学4年次の課題ではまさにこの日本橋至近の「江戸橋JCT」を敷地に選んで
無謀な戦いを挑んだこともありました。
その好き、が確信に変わったのは学生時代。
映画「惑星ソラリス」(A.タルコフスキー,1972年)という近代SFの名作に出会ったことです。
現実か非現実かではなく、記憶のみの世界で脳内ドライブする風景、
その映像が、東京オリンピック直後の首都高です。これです、これ。
彼は外国人だけど、上京した僕も似たようなモン。驚いたでしょうね。
そして、「美しい」と感じてしまったとハズです。
ローマの水道橋、中国の万里の長城、エッフェル塔等々、
宗教建築や権力誇示以外の人工世界遺産はその時に求められ、果たすべき機能を
その時の最高水準でつくったモノが「美しい」とされています。
これって真理だと思います。
へたに「景観」というよくわからない偽善を気にして
妙に中途半端でコビたモノをつくっても、文化になりません。
そして目の前から消えてしまった「歴史」をムリヤリ「復元」し、
拠り所としても、只の見せ物。魂が抜けています。
問題は、「今」がどのように文化として歴史として残るのか。
でもそんなことを考えても途方に暮れちゃう。
でも今あるものを否定せず、認めて利用しちゃうこと。そして
今、真に求められ果たすべき機能をきちんとつくることはできる。
今は「醜」の対象になってるけど、
そんな論理でできた首都高は将来世界遺産になっても良いと思います。
じいちゃんはかっこいいけど、親父は格好わるい、と思うのは自然だけど、
又何年も経てばその親父もじいちゃんになるんです。
PR
ここ7,8年程、やりたいことがあります。
それはシェアオフィス。いや、シェアスタジオ。
個人事業または数名でやってるクリエーター達で大空間を借り、
適度に仕切ってシェアして使えるスタジオスペース。
メンバーは、例えばこれまで栃木県で出会った人でいえば、
 建築設計事務所
 カフェオーナー
 音響・イベント制作会社
 映像作家
 ギタリスト
 レコード屋
 キュレーター
 空間デザイン事務所
 画家
 グラフィックデザイン事務所
 webデザイン事務所
 アーチスト
 大工
 写真家
 家具制作  そして各々の修行中の人。
各自の集中作業用のブースがあり、
適当に集まってしゃべれる共有ミーティングスペースがあり、
そこにはカフェとかレストランなんか併設。酒もだす。
事務機器やネット接続や光熱費の基本料など割れるのでお得。
基本的には各自の活動で自立していること。
でも、プロジェクトによってはコラボ。
気軽にお互いのワークプロセスを覗ける。
随時、必要な知識を共有できる。
なのでコラボもしやすい。
大空間なのでライブとか展示会、上映会とかもここでやってしまう。
ネタには困ることはない。
地域とのコミュニティもつくる。
通りすがりの人も、お店感覚で共有スペースまでは入れる。
ここでも情報交換。
街にも拡がる。 云々。。。

問題は、同年代で上記のような仕事/活動をしている人達が
現状あんまり経済的に成立していないこと。
クセが強く、独りの時間が何よりも大切な人の集まりなので
どの程度のシェアにするか、その距離感が非常に大切なこと。
などなどありますが、実際に成立している事例もあることは確か。

例えば、宇都宮市街地で100坪の空きビルがあったりして、
(5棟程度の隣り合った家でもアリ)
自分達で内装をやってしまう。
10人でシェアして、ひとりあたり平均10坪。
駐車場は10台程度。常時全員いることはないので、来客には対応。
イベント時には近隣を利用。
坪当たり5,000円の家賃とかで、ひとり50,000円/月。
ん〜、今は難しいか。。。
でも確実にお互いの作品性の質、幅を伸ばすことができる環境になるし、
定期的にイベントをやることで街づくりにも繋がる。
わざわざ起案しなくても、これだけ集まれば勝手に社会に繋がる企画が生まれる。
そんな集団に場所にパトロンなんか付いてくれるといいんだろうけど、
市なんかで補助してくれないモンですかね。

壊してしまう予定なんだけど、あと5年くらい動かせない。
貸したいんだけど、改装負担が大きくて。。。
めんどくさいからほったらかしにしてるけど、小銭でも稼げれば。。。
とかいう物件があればいいんですけど。

よくある、20代の学校出たての人達で構成される、
不安だから仲良しで集まってリスクを半分にしよう、というようなチームとは違って、
うちらは30代。これまでに各々が各々の専門にて勉強し活動をしてきている。
「大人のシェア」ができるんじゃないかと。
自分の確保しなくてはならない部分、
他の人に頼らなければならない部分 の自覚がそれなりに出来ている年代。

なんか、入居メンバー、ビルオーナー、地域、街、行政、各メンバーのクライアント
それぞれがハッピーになれる舞台になる気がするんです。
再び「宇都宮まちづくり市民会議」関連の話です。
これは、H19年度公表の「宇都宮市総合計画」にて唱い、政策として進めてゆく課題、施策、事業を公募の市民達が18ヶ月かけて議論そして提案する、といった位置付けです。
各分科会での話とは別に、市も「部会」という形で、関連課が寄り集まった会があり、市民会議より”抜けのない”内容の総合計画項目を検討しています。
先日、その部会と我々分科会とで合同会議を行いました。
目的は、お互いの議論している内容の相互把握と質議、意見交換を通して、実質施策を決めてゆく部会にて分科会からの内容を整理する、という感じ。
我々市民会議は、「宇都宮を日本一住みやすい街にする」という大目標に向け、先に挙げた重点課題を抽出し、交通、住、景観、環境分野での施策、事業例を考えるという流れの思考なのだが、市側は文字通りのタテ割。交通は交通、環境は環境、景観の為の景観事業。つまり、1施策に対して1担当課の中での話になってしまっている、という印象でした。

政策って確かに事業自体の発案や実行は1担当課なのかもしれないけれど、あくまでそれは市の目指す大きな目標の為の1要素です。こうして考えると、「政策の企画-検討-絞込み-施策化そして関連課への役割当て-管理-方向修正-評価」を担当する、いわば政策ディレクターにて構成される少人数のチームとその室が必須だと思います。施策実施の手法についても、学術関係者や、他地方都市、市政研究センター等とのニュートラルなコミュニケーションを取りつつ、創造的なスタッフの基地としての「室」として位置付ける。といった存在。スタッフは庁内から匿名立候補の上、面接にて選定。市長直属のチームとしてもいいかも知れません。死なば諸共、みたいな感じで。

政策は事務仕事で片付けるモノではなく、現状課題と将来予測から総合的にデザインしてゆく、相当な創造力と企画力が求められるものである。それに相応しいスタッフ、場所、権限、責任さらには空間を用意し進めていくべきなんじゃないかなぁと。
実際に、SONYとかOLYMPUS、TOYOTA等の会社は、新しいコンセプトを産み出し、企業の将来を導くコンセプトスタッフ、クリエイティブルームというようなものを特別に設けていたりします。
市も約50万人抱える大企業。創造性なしに将来を生み出せるワケないですよね。

例えば庁内か市庁舎の近所にこんな「政策ディレクター室」はいかが?


私の事務所兼住宅から徒歩2分、「宇都宮の原宿」とかなんとか呼ばれている通り沿いになんだか強烈な空き物件を発見し、中を見せて頂きました。表通りから見ると、まごうかたなき古びた洋館。内部はこじんまりとしていながらも天井が高く、そして薄暗くって、低めのゆったりソファでぼーっとしたい雰囲気。最上階(3階)部分は、急勾配の小屋裏スペースがまた良い感じです。
これだけで充分なのに、その裏手隣には、今では珍しい大谷石+土壁の蔵が鎮座しています。

こちらも見せて頂きました。こちらはうって変わって和の雰囲気。結構広いにも関わらず、その薄暗さ、木梁の重厚さ/ツヤのせいか、どっしりと落着く感じです。収納してある、写真のような自転車、和箪笥、古鏡等がいっそう心惹かれます。

洋館の内部も、さすが老舗家具屋の家だったこともあり、収納式の流し台や、シェーカーデザインも真っ青の木製デスク、扉の金物、壁の木板ひとつひとつにこだわりを感じ得ません。

聞けば、両方とも築100年は下らない建物だとか。そしてもったいないことに、何十年も使われていないとか。セットにして飲食店でもやれば雰囲気だけで他の追従を許さない店鋪になれるはずです。そしてここの空間に負けない大人達が通い、ゆったりと過ごすようになれば、若者だけの、見た目を飾る商品を扱う通りではなく、中身のしっかりした大人達がいい感じで過ごすことのできるエリアになってくるんじゃないか、と想像できます。
どーにかならないものか。。。

ここはどこでしょう?
上の写真だけでピンと来る方は宇都宮っ子以上の存在です。
ここは栃木県で一番地価の高いエリアのとある一角。
実は公園があるんです。
幅2m程の通路を30m進むと、南・東・西面を30mの真っ白な壁、残る北面は下写真のような荒廃した生活空間に囲まれた雑草面が現れます。御多分にもれず、1年の内ほとんど日光が当たることがありません。


唯一の出入口   と   正面(表通り)の風景   と   壁面

2001年初夏、仲間達と活動していた都市活動チーム「studio chora」(※)から発生した街づくりサロン「chora cafe」に訪れたこの地域のとある商店主より、「かつあげ公園と呼ばれている場所がある」と紹介されたことから全てが始まりました。
我々は直感的にこの空間の力強さを感じ、調査・分析を早速行い、
空間の長短問わない特徴を整理し、隣接する築50年共同ビル使用法と合わせ、
12個の計画を発表しました。

「露天風呂シアター」と「立体墓地公園」
その他、「喫煙パーク」「デキモノ公園」「バルーン」「公園屋」「とびおり公園」「だんだんハウス」「ショップユニット」「ハーフパイプ」「アトリエ公園」「W杯」等々、現実を見つめたもの、皮肉を込めたものを含め、すぐさま現実を目指すわけではないが、各々ひとクセある提案となりました。

いずれにせよ、全てに共通したのは、
都心部の真ん中に位置していながら忘れ去られていること。
日光がろくに当たらないこと。奥まって、囲まれていること。古いこと。
以上の「特徴」を知り、欠点ではなく「他にない魅力」と受止めること。
そこから生み出される「何か」に、生活者/商店主/事業者が旨味を感じ、入り込んでくること。
彼等のターゲットを生み出すきっかけを考える為の「ふっかけ」を行うこと。
もし再開発という目標があるのなら、開発前に放っとくのではなく、開発後につながる伝説を残しておくこと。もはや建物が新しくなれば儲かる時代じゃないんだから。その前にこの地区の個性をつくり出してしまうこと。この地区が経てきた歴史とステイタスを持ってすればそれは可能なことだと感じます。

もちろん、これらの提案は現実化されることなく埋もれてしまう訳なんですが、
その後、市推進機構にて公園活性プロジェクトチームが編成されてしまうんです。
続きは後程。

※studio chora site(topのみ)
http://f1.aaa.livedoor.jp/~chora/
再び東京湾クルージングに誘われ、行ってきました。
tは橋を下から見るのが好きで、橋脚好き。
というわけで今回は橋特集。

木更津の橋/横浜ベイブリッジ/東京湾横断道路/レインボーブリッジ

そして品川あたりの運河沿いに入り込みます。
水門/首都高橋脚/なんとか橋/ゆりかもめ

隅田川へも行きました。この辺は水上バスでも見れる風景です。

最後に天王州「TYハーバー」に上陸。
同乗者が、ここにクルーザーで乗り込むことがかねてよりの憧れだったらしく、
前回は男4人だったので断念したのですが
今回は家族連れだったことも有り、堂々着岸。
でもオシャレ感や料理云々よりも、温かさに感動。ビバ室内。

次回は小さめの船で、都内の川を巡ってみたいもんです。
春になったら。。。
去る11/18、tの参加している「宇都宮まちづくり市民会議」の提案発表会がありました。
これは、市の呼びかけで総勢60名の公募委員が
「都市自治」「教育文化振興」「市民福祉」「生活環境整備」「産業振興」「都市基盤整備」
の6分科会に別れ、H19年度に出される「宇都宮市総合計画」にて主張すべき施策を
18ヶ月かけて検討していくといった感じの会です。

tは「生活環境整備」分科会の会長をなぜか任されており、
市長、役人、会議委員、公聴人達に発表を行ってきました。
我々の会は「宇都宮を日本一住みたい町にする」を目標に、主要課題を5つ挙げました。

 1、「公共交通ネットワークの充実」
    現状の効率化だけでなく街の将来を見据えた公共交通ネットワークデザインをする。
 2、「住環境・コミュニティの整備」
    個々人の思う住みやすさよった生活エリアの選択ができるようにする。特に中心市街地。
 3、「景観意識の高揚」
    景観意識の個人レベル、個人生活への浸透を図る。
 4、「環境施策の個人レベルへの浸透」
    "めんどくさい"を軽減するのではなく"それでもやる"理由/動機付けの仕掛けをする。
 5、「市民参画システムをつくる」
    施策作成/実行から評価まで、市民参画をもって街づくりを統括/遂行するシステムを作る。

ってな感じで提言し、
1〜5各々について、事業例を挙げながら説明しました。
画像は1の公共交通ネットワークデザイン概念図です。

2では都市の基礎である「住」に行政がどの部分でどのように寄与できるかの提案。
3は大谷石をキーとして景観づくりをする為のシステム提案。
4は家庭版ISOを拡める仕掛け
5は市で呼び掛けた、我々のような会で真剣に捻出された考えを本当の意味での協働のもと
施策となり、いい結果まで持っていける為には?の提案。

こういった会議で多いのは
要求型提案(行政でなんとかしろー!)と
夢想型提案(勝手にこんな計画をつくってみました)あたり。
前者は行政に期待し過ぎ。後者は行政なんかあてにならん的な態度。
要求型をだされても、行政でいちいちそんな細かいこと対処しきれない。
夢想をだされても、それに先立つものが用意できない。
かといって行政内部のみで提案されるものにはコンセプトや手法の器用さがない。
つまりtが思うに、行政方々も市民側もどっちもどっち。
「なぜその課題を重視するのか?」
「なぜその事業をしなければならないのか?」
を短期長期双方の視点から、市民に快諾されなくても(何にせよ100%は無理)
コンセプトが伝わるように考えてゆくことが必要なんじゃないでしょうか。
言葉遊び的な素敵な文句をこねくりまわすのではないコンセプト。
それには行政/市民双方の高密な検討が不可欠。
参加する市民もそれぞれのプロであることも必要。
そこで対等な検討が始めて行われるんだけど、
いかんせん行政はそれでメシくってるわけだけど、市民側の食い扶持は別。忙しい。
となると、時間のある身分の方々しか参加できなくなっちゃう。
20〜40代にはとてもじゃないけど参加できない。
でも多少なりともお金が出れば、
各世代、各業種のプロがいい感じに入り混じった市民企画となる。

市民側にも提案するなりに責任を取るべきだし、
そのためのシステムが実は今一番まちづくりに必要なトコなんじゃないかなぁと
感じる今日この頃。
とある方に誘われ、
東京湾クルージングに行きました。

舞浜→羽田沖→川崎→大黒埠頭→横浜MM21
→海ほたる→木更津→お台場→天王州→葛西
と、巡りに巡って10時間。
普段は見ることのできない、
コンテナ港や工業地帯を見れたのは楽しかった。

で、印象。
都市は、水側から見ると汚い。
 特にTDL、豊洲。
高層マンションは都市の景観/スカイラインを著しく壊す。
 特に横浜MM21、お台場、隅田川河口。
橋はやっぱり下からみると良い。
 東京は水の都。橋だらけ。楽しいです。
海ほたるは恐い。
 突然ぽっこりと巨大施設が。異様です。

近年では天王洲のように水側をメリットと
考えた開発がされてきているけど、
まーだまだ利用されていないし、価値がある。
しかし高層マンションのように、
水を眺めるという意識のつくりというのは
水を触れる、親しむという意識とは根本的に違っていて、
決して水側から眺められた時の良さに反映されない。
昼間は特に顕著。
水側から見る人なんて少ないから
どうでもいいのかも知れないけど、
開発時の意識の「澱」が水側に溢れ出ていて、
それが結果的に水を汚している気がしました。

なんだかんだで海の幸は美味しかったです。
木更津港にある網焼き屋さんで頂きました。

しかし、移動中はもう寒くて寒くて、
かといってトイレは狭くて揺れるので打撲するし。
室内にいると酔うし。結構過酷でした。
次は暖かくなったら連れていってもらいます。
非常に気になってた街、福生に行ってきました。

古い街並が残っているわけではない。
立地が良いわけでもない。利便性も悪い。
でも、なぜか独自の文化をつくり上げ、
盛り上がっている、らしい。

幾つかの布石はあります。
 50年代:横田基地、軍人向け商店、歓楽街。
 60年代:R&B、ソウルミュージック、
     カウンターカルチャー、米軍ハウスの賃貸しの開始。
 70年代:アーチスト村。音楽/現代美術/写真/小説家の移住。
    「限り無く透明に近いブルー」村上龍著による知名度UP。
 80年代:円高ドル安。
     国道16号沿いに日本人にも入れる個性的なお店が出店。
 90年代:お店の急増、LAのような日本離れした雰囲気の確立。
そして今、アメリカンをベースに、
和/アジアン/イタリアン/フレンチ等のお店も緩やかに許容し、
16号から入り込んだ道からJR駅方面にも浸透中。
既存商店街にも、16号方面とは違う個性を持ったお店の
開店が見受けられる。

今は、横田基地という強烈な動機を横目に見ながら、
各お店、住人達がゆるーく生活し、
繋がリを持って生きている街に感じました。
しかし、定着を引き起こす、根強い起爆剤となったのが、
住んでいたアーチスト達だということが、
大いに刺激を受ける事実です。
アーチスト・イン・レジデンス事業のように
住まわされたのではない、
古くても安いし好きに過ごせるからと自ら住み着き、
制作を続けたアーチスト達が、
残した作品ではなくむしろ彼等の生活そのものが、
元々の住民達に影響し、新たに移り住む人の動機となる。
その自然発生的な事例がこんなトコに転がっていました。

詳しくはこちら。
http://we-love-fussa.com/
いろいろな地域を巡っていると、車窓から景色がまず目に入り、「あ、エリアが変わったんだな」と感じる瞬間があります。
ここでは先日の越後妻有地域について。

写真で分かる通り、屋根に大きな特徴がありました。
棟の雪割り、カマボコ型倉庫、三角物置等々。
これらは全て日本有数の豪雪地帯だからこそのかたちです。
大雪を屋根に乗せたままだと、その重みで建物が崩壊してしまう。
ではどのようにスムーズに雪を落とすか。
そこから自ずとかたちが導きだされ、それらが集まり、街並ができてしまっています。
一番下の写真の雪囲いも豪雪地帯ならではのものです。冬には建物の1階部分は完全に雪に埋まってしまう。かといって1階部分を全て壁だけにしてしまうと他の時期に困る。では簡易的に取替の効く材料で囲えるようにしよう、というもの。

地域の環境により自ずと導きだされた「かたち」、その群によって出来てしまった街並ってなんか良いですね。この環境は自然環境だけではなく、立地環境があります。宿場町や流通団地なんかがそう。更に、時代環境というのもあるんだと思います。城下町や商店街なんかもそうなのでしょう。
環境の種はどうであれ、それに導かれるがままに建物をつくっていくこと。それらが自ずと地域の時代の独自な風景になってしまうこと。それ自体は良いことだと思います。
ここで非常に障壁となるのが、自分の周辺環境の自覚と、その良し悪しの判断です。tは一見悪いからといって否定して切り捨ててしまうことが嫌いです。その悪さも環境によって出てこざるを得なかったものだとすれば、それはそれで独自の、愛すべきキャラなんじゃないでしょうか。
そういえばtは5年前、ここ宇都宮市街地を立体駐車場で特徴付かないかと、駐車場自体をデザインし、大きな市街地模型まで作って市役所などで展示会をやってました。個人的には気に入ってたんですが、市民の方々にはアンチテーゼとしては毒が強すぎたみたいです。
[1] [2] [3] [4] [5] [6]
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
最新情報
当社も入居するシェアオフィスが2010年4月スタートしました。入居希望の方、連絡下さい。
ユニオン通りにてフリーペーパー制作室を開設。編集&製作協力者、募集中です。
最新CM
[05/11 敬語のマナー]
[10/10 HM]
[09/11 t]
[07/14 ふじぽん]
[07/12 t]
最新TB
プロフィール
HN:
taisei
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
宇都宮のこと、栃木のこと、街のこと、ロンドンのこと、建築のこと、不動産のこと、空間のこと、身体のこと、機能のこと、美術のこと、音楽のこと、映画のこと、妄想のこと、無駄なこと、予期しない出会い/組合せのこと、なんでもないモノゴトに惹かれます。
ブログ内検索
忍者ブログ / [PR]
/ テンプレート提供 Z.Zone