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栃木県宇都宮市の空間プロデューサーの日々報告
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宇都宮にある北関東唯一の芸術大学、
文星芸術大学・短大の卒業制作展に行ってきました。
以上です。
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宇都宮市美術館の企画展「デザイン・日本・亀倉雄策展」に行ってきました。

彼は、東京・札幌オリンピックポスター、NTTのロゴ、明治チョコのパッケージ
日本グラフィック協会ロゴ等々をデザインし、
日本にグラフィックデザインという一分野を確立させた張本人です。
下の世代の弟子として、田中一光や永井一正(東京電力,日清食品)がいます。
今回はその永井氏が故・亀倉氏を語るという場にも行ってきました。

作品を見て思ったことは、
1、とにかくすごく分かりやすいこと。
2、ある時期(東京オリンピック頃)から、
  がらっと日本特有のデザインってものが見えていること。
そして
3、デジタルでやるとなんだかイヤらしくなってしまう、
  「斜め」や「ずらし」をしたときに、非常に温かみのある、
  しっくりくる仕上となっていること。

だいぶ前に田中一光展を見た時はあんまりぐっと来なかったんですが
亀倉氏は良いですよ。
無事終了しました。

来場してくれた80名!の方々
会場利用を快く承諾してくれた方
あたたかい目で見守ってくれた近隣の方々
1から会場作りをしてくれた方々
美味しいドリンク&フードを出してくれたcafe keica
刺激的な体験/情報を与えてくれた、角田氏+吉里氏+青柳君
本当にありがとうございました!

当日は
art into lifeを運営する青柳君による狂気の音に始まり、
角田俊也氏によるタンブーラを共振させるパフォーマンス
東京R不動産を運営する吉里裕也氏によるリノベーション事例紹介
休憩を挟み、
角田氏による、振動源(スピーカー)を会場の壁に無数に仕掛け、
共振させるパフォーマンス
吉里氏にtが絡みつつ、県内でも通用する普遍的な手法を
事例を示しながら模索
最後に再び青柳君による狂気のDJ
といった流れになりました。

その時その場所でしかできない空間体験を。
そして各自の日常に持ち帰った時に反映できる刺激を。
そこから徐々にではあるが着実に育つものを大切にしたい。
街づくりではなく、確実な人と場づくり。
そこから街は自発的に。

なによりもなによりも、
実行委員であるt自身が一番楽しめた出来事でした。

さて、次回は、、、
この芽に適度な栄養を注ぎます。
いよいよ来週に迫った
ノモプロジェクト「空間と音のトルネード」開催に向け、
会場である空きビルの掃除を行いました。
行ってみると、
何十年も使用していなかった間に溜まったゴミと、
先週続いた雨と風が侵入し、写真のようなありさま。
奥の階段の下の空間には半地下があり、
深さ1.5Mが丸々水没してその中にも大量のゴミが。。。
半日かけ、スタッフにて、近所の方の協力の元、
ゴミをかき出し、片付け、
ほこりを掃き、水を撒き、
御祓いを行い、
なんとか一番下の写真のような状態にしました。
最後にポスターを掛け、
やっと舞台を整える準備ができました。

あとは当日、何が巻き起こるか。
それだけが不確定要素です。
イベント告知です。
tの所属する企画チーム「NOMO」のアートイベント第1段。

来て体験しても絶対に人に説明できない、
来た本人しか得られないものを
持って帰ることができる時空間を用意しています。

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平成18年度 文化庁「文化芸術による創造のまち」支援事業
ノモプロジェクト01  「空間と音のトルネード」

日時  : 2006年10月14日 土曜日
      17:00開場、17:30開演
場所  : 宇都宮市馬場通り4丁目 
      通称)ゴータクビル東端1F
主催  : 「アートによる地域創造」実行委員会
入場料 : 1,000円(1ドリンク含)
チケット購入等、お問合先
    : 事務局 028-660-5232 karada-info@yahoo.co.jp

通称)ゴータクビルを舞台にした、空間を音によって満たし、支配し、変容するアーチスト角田俊也によるサウンドパフォーマンス。そして新しい視点で不動産を発見し、紹介していくサイト「東京R不動産」の主宰者である吉里裕也による事例紹介。
必要なのは人と日常的な場を繋げること。時には創造的行為で街を「冒す」こと。

ゲスト
1、角田俊也(アーチスト)
 1964年神奈川生まれ。東京藝術大学大学院修了。
 音響現象に関わる作品制作を実践。Hapna、Lucky Kitchen、
 Sirr等のレーベルからソロCDを出版。主にフィールド録音と
 インスタレーション制作を行ってきたが、最近は狭義の音楽
 にとらわれないコンポジション制作にも取り組む。
2、吉里裕也(デベロッパー・アーキテクト)
 2004年SPEAC,inc..代表取締役/「東京R不動産」ディレクター
 1972年生まれ。東京都立大学工学研究科建築学専攻修了。
(株)スペースデザインにて不動産開発に従事。
 2004年、SPEAC,inc.を設立すると共に、「東京R不動産」を
 共同主宰。

<ノモプロジェクトについて>
文化庁支援により発足したノモプロジェクトは、「場の育成」、「人と場の関係の育成」を目指すアートプロジェクトです。衰退し続ける市街地を、創造的行為によって人が集まる場にすること、人が集まることのできる場の可能性を経済的視点も含め示し続けます。
越後妻有トリエンナーレ絡みの話はこれでいい加減終わりにします。

tの思う、地域に点在させる芸術祭の最大の利点について。

作品マップがあるので、それを当てにして移動するんですが、
なにせ慣れない土地なのでキョロキョロしつつ運転/歩行します。
すると、「あれっ、これも作品か?」と思わしき物事を発見したりするのです。
我々には見なれない、もしくは見なれ過ぎているが良く見てみると不思議だったり美しいと感じたりするコト、モノ達へのアンテナが明らかに鋭敏になっているんです。
こうなったらもう全てがアートになっちゃう。
でも、それでいいんじゃないでしょうか。
外部者によって、自分の近所の独自のものを発見してもらっちゃうことができる。それを人が面白がっている。「へぇー、こんなもんがいいんだ」、から、「どうだ、いいだろ!」に変わってゆく。
住民個々が身近な誇りを知ること。
これが街にとって一番大切なことなんです。
3回目のアートトリエンナーレで気になったことをいくつか。

写真は十日町の作品展示の横にあった、かかし群。50体程ありまして、コンクールを開いていました。これは芸術祭とは関係なく、住民の方々が自主制作にて出品したもの。他に、松代では民家作品の隣に住む方が、負けじと家にあるもので作ったものを展示していたという話も聞きました。じわじわとですが、「おれもできる感」、「アートって難しいモンじゃねぇんだ感」が個々に浸透してきてるんだなと感じました。中途半端に芸術哲学を理解させるような活動ではなくて、アートを只のツールとして、インパクトや楽しさ、身近な物事の大切さを伝えることの重要さ。

下の写真は町にて自主的に建てたアート案内看板。左の黄色いのが芸術祭で建てたものです。どうも行政ってのはこういった方向に行きやすい。。。親切心からなんでしょうけど、住民の方々には案内板はいらないし、わざわざ訪れるアート好きにとっては結構げんなりする代物。鋭敏な、良い気分になっているのに、なんだか地味な気分に落とされてしまいます。。。

各作品に行って今回妙に多かったのが、係員の説明の過剰さ。「これは○○を表しています」とか「□□の部分がきれいです」、「△△が面白いです」といった余計な説明が耳につきました。よく見て体験する前やじっくりと味わっている最中にこの種の説明はいりません。純粋に楽しみに来てる方々は余計に意味分からなくなっちゃって、頭で捉えようとしてしまう。同業者は自分で感じる訓練ができてるますんで、反感に繋がる。主催者側は、形容詞説明をしてしまうと致命的なのです。目の前に体験できる作品があるんだから。
立続けに、作品紹介。

松代、川西、十日町エリア

6「脱皮する家」 日本大学芸術学部彫刻コース有志
 空家を彫刻刀で彫り尽くすプロジェクト。
壁床天井建具家具、ありとあらゆる部分を1年以上かけて彫りまくったらしい。。。その執念がそのまま圧倒的に現れている。
意図はともかく、なんだか版画の中の空間に自分が居るような不思議な感覚。時間とか場所とか歴史とか関係なく、純粋に空間体験として自分が空間に呑み込まれていくような感覚。
足裏で感じる彫り跡もなかなか気持ちいい。。。
tの今回のNo.1はこれ。

7「影(ei)/来し方 行く先」 大谷俊一
 集落から集めた古い写真を透明フィルムに写し、空家の窓に張る。
僕らには知り得ない、集落の持つ時間。それを透過して今の風景が見える。床に映る。
その手法、表現の素直さが非常にいい。

8「記憶の扉」 安奎哲
 地域の建具で建てた小屋。
4x4=16の部屋が全て建具にて仕切られており、そこを自由に巡る。中には落書きが描かれていたり、当時のポスターのようなものが張られていたり。使用していた集落の住民にとってはそのキズひとつひとつも自分のモノであり、それらが開け閉めされながら繋がってゆく。ひとつの集落がそこに集約されているように感じた。

9「天竺」 豊福亮
 空家の内部が金色の装飾物で埋め尽くされている。
その外部とのギャップ、唐突さに圧倒。
日常の跡であるこの空間があまりにも非日常的なものに変化しているのを目の当たりにしたときに、類似した家に棲む地域の人は何を持って帰ることができるのか。

10「妻有の家」 エルリッヒ
 鏡で垂直映像とされた床に置かれた凡庸な家の壁。
純粋に、体験する楽しいアートとして秀逸。やっぱ遊んじゃう、遊ばされちゃう作品って認めざるを得ないんですね。
気になった作品(2006年初見)をいくつか紹介します。

中里、津南、松之山エリア

1「最後の教室」 ボルタンスキー+カルマン
 廃校を舞台に、不在をテーマにした作品。
相変わらず上手。
彼等はこれで3回めの参加なのだがこれがtにとって初見だったら
今回3本の指に入る作品。
しかし、前回のNo.1だった、彼等による白昼夢のような恐さを持つ空間体験に比べると少々ヤリすぎの感あり。

2「弾/彼岸の家」 原すがね
 元集会所に、赤く染めた古着を縄にしたものを張巡らした作品。
怨念のこもったクモの糸で支配されているような空間。

3「新視界・湯山の家」 前山忠
 視界を操る作家による廃民家からの眺め。
光の間では、縦/横スリットから、遠近間を奪われた田園風景が入り込んでくる。

4「田圃の枯山水」 刀禰+飯島
 広大な水田に四畳半のガラスの床が浮かぶ。
ここに座っていると、車窓に流れる田園風景とは全く違う、自ら動いている環境を感じることができる。

5「コンタクト-足湯プロジェクト」 プロスペクター
 空家から出た大量の建具を用いて足湯空間を創る。
真っ白に塗られた建具は背後の山からこの場を囲い込み守るが、その格子の間から、眺める風景としての自然を与えてくれる。
お盆休みを利用し、「越後妻有アートトリエンナーレ2006」に行ってきました。
これは、棚田のきれいな山奥、新潟県妻有地域(南部)全域で3年毎に行われる芸術祭です。
tはこれで3回連続、皆勤賞。
宇都宮から車を走らせ、6時間で会場に着きます。
フジロックから少し足を伸ばしたと思えば近いもんです。
毎回50程度の作品が常時設置となり、今回は329作品展示となりました。
web site等で事前情報を入手し、3日間で72作品巡ってきました。
この芸術祭は、その土地から導き出される作品を主としているので、とても楽しく参考になるイベントなのでお勧めです。
作品を巡る為には、車などで集落に行き、その路地を歩き廻らなくてはならないのですが、地域の住民達も僕らがうろうろしていることを楽しんでいるのがこちらにも伝わるし、その作品に参加し、愛している。参加作家達は地域と関わりながら制作をしなければならず、人によっては、住み着いてしまう作家もいるんだとか。
主催者側の地道な行政や住民への理解活動や資金集めを考えると途方もないものだと想像できるのですが、2回目から3回目までの間に洪水や震災を経てきた地元が今回もこの祭りを受入れ、協力し、楽しんでいる。さらに、住民がその作品を「育てている」。これほどまでアートの力というものを感じることのできる機会は滅多に体感できません。
利害関係のない、アートというものを介して街が人が繋がり、かつ、そして個々が元気になっていく。経済的な効果としてはまだ現れるものではありませんが、この地域は即時的な時代の流れに呑まれ、衰退するような方向から脱却しつつあるのを感じます。
すごくうらやましい。いや、どの街でもできることなんです。

http://www.echigo-tsumari.jp/
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