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栃木県宇都宮市の空間プロデューサーの日々報告
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設計の仕事をしていると、避けて通れないのが「素材」の選定。
tは出来るだけナマの素材を使いたいのが本音です。木、石、紙、竹、漆喰、金属、土、焼き物等々。
理由は、地球環境問題はもちろん、使えば使う程、人に生活に街に馴染んでくるからです。これらの素材の出す味わいは得難いものです。
しかし本物の素材をクライアント氏に勧める時の問題が2つ。
1つはコスト。新建材は建物用に作られた素材なので安価に、収めやすく作られています。しかしナマの素材はそうではない。その都度特別な収め方を発明しなければならないことがしばしば。しかしこの点は設計者や工事業者があれこれ苦労すれば解決できる問題です。
2つ目は変化することです。新建材は中長期スパンで見れば汚れも少なく、腐食もわずかでとても優れた素材と言えます。しかしナマの素材は日光や風雨などの自然条件、手垢などの使用条件によって色合いや肌理等の変化が避けられません。つまり短期での変化が起きます。
ここで問題は「汚れか味か」。
新建材は一度汚れたり腐食してしまうと、薄い層状構造しているものが多いので下部の、見えるようにできていない性能も全く違う素材が露出してしまい、全体の交換でしか解決できません。
ナマ素材の変化は短期に起きるものですが、素材そのものとしては長期の使用に耐えられます。表層がダメになってしまっても、例えば木であれば削りを入れるだけで解決可能です。モノによっては取替を簡易的にできるように作っておくことも必要ですが、これは障子紙の取替のように古来よりこの国では当たり前に行われてきたことです。何よりもその汚れ具合。何百年も生きてきた古寺の柱、床板を見て汚いと思う人はいるでしょうか?ナマの素材は時間の「染み具合」が全く違うのです。新建材なら汚れや腐食といったマイナス要因にしかならない、敵対すべき要素もナマ素材は受入れ、自らの成長に変えてしまうんです。例えば、鉄は錆びることで安定する素材です。風雨と日光が自らの安定の為に必要なのです。手からの油も安定要素のひとつです。
みなさんは写真の壁をどうみますか?
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行った先々で美味しかったものを写真で紹介したいんですが、食べてみないと美味しさは分からないのが事実。だから食べる前に撮影し、食べ終わったら判決ってことになります。もちろんあんまし美味しくなかったものはお蔵入りです。紹介しません。
しかし例外がいくつか。
それは明らかに美味しいのが分かっていて、それが目当てで行く場合。
お店に行って、注文。ここまでは撮影する気満々。
しかし、お皿が出てくると、完食、満腹、で落着いたころに気付くんです。。。そして叫ぶ。
写真は先日の「布海苔入りへぎそば」と、この春に行った釜石で食べた「三陸丼」、の亡骸。
先日掲載した「へぎそば」は実は2回めのチャレンジです。
空き皿が撮れるのはまだ良い方で、お店を出てから叫ぶことも。
まだまだ修行が足りませんね。
取り乱さないようにしないと。。。
いろいろな地域を巡っていると、車窓から景色がまず目に入り、「あ、エリアが変わったんだな」と感じる瞬間があります。
ここでは先日の越後妻有地域について。

写真で分かる通り、屋根に大きな特徴がありました。
棟の雪割り、カマボコ型倉庫、三角物置等々。
これらは全て日本有数の豪雪地帯だからこそのかたちです。
大雪を屋根に乗せたままだと、その重みで建物が崩壊してしまう。
ではどのようにスムーズに雪を落とすか。
そこから自ずとかたちが導きだされ、それらが集まり、街並ができてしまっています。
一番下の写真の雪囲いも豪雪地帯ならではのものです。冬には建物の1階部分は完全に雪に埋まってしまう。かといって1階部分を全て壁だけにしてしまうと他の時期に困る。では簡易的に取替の効く材料で囲えるようにしよう、というもの。

地域の環境により自ずと導きだされた「かたち」、その群によって出来てしまった街並ってなんか良いですね。この環境は自然環境だけではなく、立地環境があります。宿場町や流通団地なんかがそう。更に、時代環境というのもあるんだと思います。城下町や商店街なんかもそうなのでしょう。
環境の種はどうであれ、それに導かれるがままに建物をつくっていくこと。それらが自ずと地域の時代の独自な風景になってしまうこと。それ自体は良いことだと思います。
ここで非常に障壁となるのが、自分の周辺環境の自覚と、その良し悪しの判断です。tは一見悪いからといって否定して切り捨ててしまうことが嫌いです。その悪さも環境によって出てこざるを得なかったものだとすれば、それはそれで独自の、愛すべきキャラなんじゃないでしょうか。
そういえばtは5年前、ここ宇都宮市街地を立体駐車場で特徴付かないかと、駐車場自体をデザインし、大きな市街地模型まで作って市役所などで展示会をやってました。個人的には気に入ってたんですが、市民の方々にはアンチテーゼとしては毒が強すぎたみたいです。
この旅のもうひとつの目的を。
それは食事。
アートだけではさすがに毎回は行けません。
行けば美味しい食事に出会えるから行くんです。

最初に紹介するのは「へぎそば」。
この地域のそばは「へぎ」と呼ばれる蒸籠にそばがひとくちサイズにまとめられて出てきます。
tのお気に入りは、「布海苔」をつなぎに使ったそば。
そばの香りがしつつも、布海苔の香りと歯ごたえ、咽ごしを同時に楽しめます。"くにゅる"っとした触感がたまりません。

そして越後妻有地域は言わずと知れた魚沼産コシヒカリの産地。
たくさんのお店で「おにぎり」がメニューとしてあります。
今はお米が一番おいしくない時期なのですが、
さすがに美味しい。これだけで美味しいんです。

さらに、ここは山間地域にも関わらず、柏崎等の漁港も近いことから、海産物も楽しめます。
今回は「ブリ丼」と「ハタの刺身」を頂きました。
ねぎトロ状のブリとハマチが乗った丼。プリプリしてて美味しい。
ハタを刺身で食べるのは初めてだったのですが、いいです、これ。
食感はコリコリしてて淡白な白身なのですが、噛めば噛む程味が出てくる。今回の食の収穫はコレ。

今回は宿が離れた場所だったのでムリだったのですが、
米も水も旨いってことは、日本酒ももちろん美味しい。
次回はハタの刺身でちびちびいきたいもんです。
立続けに、作品紹介。

松代、川西、十日町エリア

6「脱皮する家」 日本大学芸術学部彫刻コース有志
 空家を彫刻刀で彫り尽くすプロジェクト。
壁床天井建具家具、ありとあらゆる部分を1年以上かけて彫りまくったらしい。。。その執念がそのまま圧倒的に現れている。
意図はともかく、なんだか版画の中の空間に自分が居るような不思議な感覚。時間とか場所とか歴史とか関係なく、純粋に空間体験として自分が空間に呑み込まれていくような感覚。
足裏で感じる彫り跡もなかなか気持ちいい。。。
tの今回のNo.1はこれ。

7「影(ei)/来し方 行く先」 大谷俊一
 集落から集めた古い写真を透明フィルムに写し、空家の窓に張る。
僕らには知り得ない、集落の持つ時間。それを透過して今の風景が見える。床に映る。
その手法、表現の素直さが非常にいい。

8「記憶の扉」 安奎哲
 地域の建具で建てた小屋。
4x4=16の部屋が全て建具にて仕切られており、そこを自由に巡る。中には落書きが描かれていたり、当時のポスターのようなものが張られていたり。使用していた集落の住民にとってはそのキズひとつひとつも自分のモノであり、それらが開け閉めされながら繋がってゆく。ひとつの集落がそこに集約されているように感じた。

9「天竺」 豊福亮
 空家の内部が金色の装飾物で埋め尽くされている。
その外部とのギャップ、唐突さに圧倒。
日常の跡であるこの空間があまりにも非日常的なものに変化しているのを目の当たりにしたときに、類似した家に棲む地域の人は何を持って帰ることができるのか。

10「妻有の家」 エルリッヒ
 鏡で垂直映像とされた床に置かれた凡庸な家の壁。
純粋に、体験する楽しいアートとして秀逸。やっぱ遊んじゃう、遊ばされちゃう作品って認めざるを得ないんですね。
気になった作品(2006年初見)をいくつか紹介します。

中里、津南、松之山エリア

1「最後の教室」 ボルタンスキー+カルマン
 廃校を舞台に、不在をテーマにした作品。
相変わらず上手。
彼等はこれで3回めの参加なのだがこれがtにとって初見だったら
今回3本の指に入る作品。
しかし、前回のNo.1だった、彼等による白昼夢のような恐さを持つ空間体験に比べると少々ヤリすぎの感あり。

2「弾/彼岸の家」 原すがね
 元集会所に、赤く染めた古着を縄にしたものを張巡らした作品。
怨念のこもったクモの糸で支配されているような空間。

3「新視界・湯山の家」 前山忠
 視界を操る作家による廃民家からの眺め。
光の間では、縦/横スリットから、遠近間を奪われた田園風景が入り込んでくる。

4「田圃の枯山水」 刀禰+飯島
 広大な水田に四畳半のガラスの床が浮かぶ。
ここに座っていると、車窓に流れる田園風景とは全く違う、自ら動いている環境を感じることができる。

5「コンタクト-足湯プロジェクト」 プロスペクター
 空家から出た大量の建具を用いて足湯空間を創る。
真っ白に塗られた建具は背後の山からこの場を囲い込み守るが、その格子の間から、眺める風景としての自然を与えてくれる。
お盆休みを利用し、「越後妻有アートトリエンナーレ2006」に行ってきました。
これは、棚田のきれいな山奥、新潟県妻有地域(南部)全域で3年毎に行われる芸術祭です。
tはこれで3回連続、皆勤賞。
宇都宮から車を走らせ、6時間で会場に着きます。
フジロックから少し足を伸ばしたと思えば近いもんです。
毎回50程度の作品が常時設置となり、今回は329作品展示となりました。
web site等で事前情報を入手し、3日間で72作品巡ってきました。
この芸術祭は、その土地から導き出される作品を主としているので、とても楽しく参考になるイベントなのでお勧めです。
作品を巡る為には、車などで集落に行き、その路地を歩き廻らなくてはならないのですが、地域の住民達も僕らがうろうろしていることを楽しんでいるのがこちらにも伝わるし、その作品に参加し、愛している。参加作家達は地域と関わりながら制作をしなければならず、人によっては、住み着いてしまう作家もいるんだとか。
主催者側の地道な行政や住民への理解活動や資金集めを考えると途方もないものだと想像できるのですが、2回目から3回目までの間に洪水や震災を経てきた地元が今回もこの祭りを受入れ、協力し、楽しんでいる。さらに、住民がその作品を「育てている」。これほどまでアートの力というものを感じることのできる機会は滅多に体感できません。
利害関係のない、アートというものを介して街が人が繋がり、かつ、そして個々が元気になっていく。経済的な効果としてはまだ現れるものではありませんが、この地域は即時的な時代の流れに呑まれ、衰退するような方向から脱却しつつあるのを感じます。
すごくうらやましい。いや、どの街でもできることなんです。

http://www.echigo-tsumari.jp/
前回の続き。
この日のメインは足利花火大会だったんですが、
その前にラーメンを食べに佐野市街地へ。
市街地ってどこだ?と思う程閑散極まりない状態。
土曜の夕方なのに。。。歩行者も車もいない。
あんなにアウトレットモールは人が居たのに。。。
しかし、建物自体は面白い。
写真のような駅前の喫茶店、町家、商店、洋館等々。
どうやらここも鹿沼や今市と同様、日光への宿場街だったとか。
上の2市と違い、今ではその街道からかなり離れてしまったせいか、
結構軒を連ねて明治〜昭和初期の建物が残っています。
この洋館なんて、今だに医院として使っていました。
この日は急ぎだったんですが、今度ゆっくり探検してみたいです。
それにしても、×市街地ー○郊外の構図を
あまりにも明らかに体験してしまい、少々凹みました。

その市街地にポツリポツリと赤暖簾のお店が。
どこもかしこも閉まっていたが、1,2軒なんとか開いていました。
厄よけ大師前にお店を決め、基本の「ラーメン」を注文。
おぉ、全てがベーシック。。。
鳥ダシの醤油スープ。具はチャーシュー、メンマ、のり、
ホウレン草、そしてナルト! 器はドラゴン!
予想外な満足感を得られてしまいました。

そして足利花火へ。
残念ながら宇都宮花火大会は諸事情によりなくなってしまったのですが、
ここは100年間90回も続けているんです。しかも2万発。
tは花火が好きで、特にあの音が好き。
会場である渡良瀬川の広大な河川敷は混雑してなくって、
至近距離なのにゆったり横になって花火が見れました。
tは最近のハート型やイラスト型の花火は好きでないのですが、
ここは結構ストイックで、尺玉連発。ズシンと響く。
在英期間をはさんで4年ぶりのtにはかなり良い花火大会でした。
足利は歴史が比較的生きていながらも
新しいことに街として挑戦していて注目はしていたのですが、
更に目が離せなくなりました。
2003年開始の「佐野プレミアム・アウトレット」に行きました。
当時宇都宮でも話題にはなっていたのですが、
ものすごい渋滞の噂に怖じ気づいて、というより、
行く理由もなかったので、今回が始めて。
適度に空いてましたね、駐車場も楽々でした。
でも疲れる。約150店舗。
2-3時間巡り、結局tが手に入れたのは
「Cold Stone Creamery」のアイスのみ。
もともとtはデパートを見て回るのが苦痛でしょうがないのですが、
この疲れはそれと似た感覚でした。
ヤロウだからそう思うんだ、服に興味があればそんなことない、
という意見もあるだろうけど。
そりゃあ、ガツガツと服飾品を買い歩くことはすきじゃないが、
なんつーか、この種の疲れは買い物行為の嫌悪感からでなくって、
あまりにも全てを用意された場所を巡らされることに対する嫌悪感
から来てるんです。テーマパークに行った時の感覚とも同じ。
なんか、上空から見てる人がいるみたいで気持ち悪い。
来てる人々は思い思いにお店を巡り歩いていると思っていても、
そのすべては「彼」の掌の上なんだなぁ、と気付いてしまうと、もう。。。
「彼」存在感の強さ、「彼」の立ち位置の違い1つで
自発的な市街地での勝手気ままな街遊びとは根本的に違う行為になってしまう。
でも購買意欲も含め上手にこの場をコントロールしてるから
それなりの認知度を得ているんでしょうけどね。
掌の上に全ての出来事を乗せるやり方がいいのか、
それとも掌で全ての出来事の「糸の端」をつかむやり方がいいのか、
または、掌から転げ落とすやり方がいいのか。
もしくはどれが好きか、向いているか。

佐野プレミアム・アウトレット
http://www.premiumoutlets.co.jp/
実は今、ある美術+街づくり関連事業の企画をしてて、
イベント/シンポジウム的なことをやる準備をしてるんです。
そこで、tがどうしてもやりたいコト、でなくって、
やりたいトコが結構地元に転がっています。
その1つが写真のビル。
宇都宮の市街地は、戦災にやられた後、
早急に建てられた建物がいくつもあって、その最たる例がコレ。
市中心部のど真ん中にあって、築50年程度なんですけど、
tの記憶の限りでは、少なくとも2階以上の部分が
使われていたことはありません。
あちこちに転がっている、平凡な築50-20年の建物。
いや、それだけ時間が経てば
建てられた時の状況とは明らかにズレがあります。
だから取り残されているんだけど、平凡から進化している。
短所→特徴→特長。
この変換は意外にも難しいことではないんです。
そして結構「僕ら」のテイストを乗せるのに良い背景になるんです。
地元では今、再開発、城の復元、文化遺産活用の動きがあるんだけど、
正直「僕ら」にはピンとこないというか、
「僕」らの日常生活や人生には直接関係ないだろうという気持ちは拭えません。
tは「僕ら」の関係のある、関係できることに可能性を感じるし、楽しい。
本物の歴史、文化財的空間に「僕ら」を乗せることは凄く難しくって。
でも、このくらいなら自力でどうにかできちゃうか、みたいな
その感じをより多くの「僕ら」に得てもらうこと、
より多く、場の利用が上手な「僕ら」を増やすこと。
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