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栃木県宇都宮市の空間プロデューサーの日々報告
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近くて遠い、栃木市中心街に行ってきました。
宇都宮からは車で約1時間と近いのですが、なかなか足を運べず、初めて訪れました。
ここは江戸と日光を繋ぐ例弊使街道の途中にあり、店蔵が軒を連ねた街並がまだ残っており、
「蔵の街」として有名にしようとしているが、伸び悩んでいる地域です。時々撮影とか行われています。


  <路地>   <商店街の時計塔>   <銭湯>
観るには大きく3つのルートがあります。1つは駅前大通りに面して点在する「店蔵」。2つ目はその裏側にある「商店街」。最後はさらに裏にある「水路」。この3つがほぼ平行にはしっており、それぞれを繋ぐ路地もなかなかなものだし、巡らされている水路も風情があります。


   <店蔵寄生タイプ>     <珍しい三連蔵>
ここは旧栃木県庁所在地だったこともあり、所々に洋館が見受けられます。たまには洋館もどきに見えるものも。


   <洋館もどき?>   <水路からの福田屋デパート>

   <下野新聞社支局>   <店蔵の看板建築化>
下野新聞社栃木支局は店蔵を転用してます。大通り沿いの店蔵には看板建築化されているものも。


   <水路沿いの道と板塀>   <公的観光化>


水路沿いの道はなかなか風情があります。隣接する建物も、大谷石蔵の破風に煉瓦を使っていたり。
しかし水路沿いに進んでいくと、福田屋デパートの裏側がそびえたちます。さらに古くからある工場も開放され、中が見れるのは良いのですが、俗な看板が出迎えます。
個人的にはこういう「致し方なさ」は嫌いではないのですが、
風情を求めるお客さんには興醒めかもしれません。
そして「悪しき公共事業」の典型である、電話ボックスと公衆便所へのギミック。



街を巡る水路と店蔵と洋館、昭和の残骸のようだがまだなんとかナマの生活の匂いがする商店街。
きちんとしたネタをしっかりもっている街です。
しかしほんのちょっとの公的観光化手法によって、どこかでっち上げられた印象を受けてしまうことも確か。
実際に似たネタは他の街にもたくさんあるだけに、そこを例にしたり、それらとの比較でアピールしてしまうとたちまち「妙に観光化された場所」に落ちてしまう。
いい街なだけに、「また行きたい」と思えるネタはないものか。
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広重美術館界隈は旧馬頭町(現那珂川町)の中心市街地です。
美術館前の道と平行に一本南は商店街があります。
このまちにも彫刻屋台があるようです。商店街と直交する路地にものぼりが。

ここもまた古くからの街道らしく、1戸1戸が道路面から奥行きの深い敷地となってました。
建物は、旧来の店鋪建築が多いのですが、やはり結構使われていなかったり、覆ってしまっていたり。駐車場にしてたり。
ナマの状態を垣間見ると、木製サッシに、歪んだり気泡の入ったガラス。
実はなかなか味わい深いものなんですけど。。。
町の方針で、レトロちっくな街灯と、木製看板が各店鋪前に設置されていました。
これは時間がたって、木が朽ちてくる迄の辛抱です。今はあくまで「レトロちっく」。
ちょっとした屋上庭園も発見。



広重美術館の裏手には乾徳寺があります。
立派な本堂と、六角堂。そして後ろに控える本山を巡るのも気持ち良いもんでした。



馬頭町は「島田うどん」の製麺所があります。
しかも商店街のすぐ裏手、那珂川沿いに幾つか発見しました。商店街から直交する路地を下り、川に近付いていくと、水路を建物内に引込んだ木造建物が目に入ります。回り込むと、乳白の麺をびっしりと天日干ししていました。いい風景です。
作業中のおばあちゃんにお願いし、作業風景と製麺工場内を見せて頂きました。
工場、すごいです。
歪んだ木の床、ほとんど動かしていない年代物の機械類、天窓から素朴に差込んでくる光、壁に掛けられた工具類、一枚一枚色の違う板壁、粉の匂い。。。
聞くと、昔は建物下を走る水路で水車を回し、小麦をついていたようですが、今は全く動かないとのこと。ほとんどの昔からの製麺所は跡継ぎの問題等で閉鎖してしまっていること。ここもまたしかりで、おばあちゃんが辞めたらもう閉めるしかないとのこと。
天日干しをした麺も、そもそもは生麺なので、買ったら早めに食べて欲しい。時間をおいてしまい、カビてしまうのは当たり前のこと。腐らない、カビない、そんなうどんはない。当たり前のことなんだけど、今は当たり前でない考え方になってしまっているのが恐いなと思いました。
あとは天日干しの威力や機械個々の役割等々、色々と聞くことができました。


島田うどんはお歳暮等で昔からよく食べていました。
釜あげとか、ざるが一番おいしいうどんです。
強すぎない適度なコシと、小麦粉の甘味がおいしくて、いくらでも食べられる。
正直、製麺所の清潔感は?なのですが、話を聞いて、目で見て、匂いを嗅いで、理由を知って、
やはりこのやり方で今だに作り続けているものを選んで食べたいなと思います。

今回の馬頭訪問はいきなり行って、ざっと歩き廻っただけなので、
次回はじっくり見てきます。
個人的に結構大きな出来事です。
アーセナルの象徴だったフランス代表のティエリ・アンリがとうとう移籍してしまいました。。。

 
1997年ワールドユース時 → 現在

僕がアーセナルのファンになったのは2000年前後にアンリ、ピレス、ビエイラ、ベルカンプらを擁した時代。ビエイラがひょいとカットし、ピレスがサイドを駆け抜け、アンリが切込み、ベルカンプがちょいと決める。ものすごいイージーに決めてしまうみたいに見えるんだけど、遠目では見えない動きが充実していた。でも見ていて楽しいプレーをしていたことを覚えています。昨年一昨年のバルセロナのとはまたひと味違う楽しさそして強さを持っていました。このチームは2番目に好きなチームですが。
近年ビエイラが抜け、ピレスが去り、ベルカンプが引退し、レーマン以外は10才近く離れたチームメイトを引き連れ、孤軍奮闘しているのがまた感動的でした。
なによりもかっこいいのが、ゴールを決めてもはしゃがない。
ライブのカメラを睨みながら指差したりします。
あたりまえに決めたんだから、そんなに騒ぐな、みたいな。
アイデアと技術と静かな野性を持っているプレーヤー。かっこいいです。

なによりも壮絶だったのが、去年のCL。
決勝トーナメント進出だけで上出来だと誰もが思ったチームを決勝まで導き、
GK退場という圧倒的不利な状況のなか、バルセロナのDF陣をきりきり舞いさせていました。
決勝まで無失点記録を続けられたのも、0点に押さえれば、それにさえ集中すれば、絶対アンリが決めてくれる、という絶大な信頼があったからだと思います。
残念ながら決勝では負けてしまいましたが、テレビで見てても震える、数少ない試合のひとつでした。

そんな彼もとうとうロンドンを去り、バルセロナへ行ってしまいます。
残念だけど、久しぶりに彼が活かすのではなく、彼を活かせるレベルのチームメイトのいるところで今度はどんな鋭いプレーを見せてくれるのか。
そしてメッシをどう絡むのか、非常に楽しみです。
もうアーセナルを応援する理由もなくなってしまったのは寂しいですが、
新生バルセロナに注目です。
広重美術館から車で約5分、もうひとつの美術館に。

2001年開館です。元小学校の木造校舎を再利用した、知的障害者を持つ人達による作品を展示しする施設です。
ここの活動は結構活発で、文化庁事業にて越後妻有トリエンナーレのアートディレクター、北川フラム氏や参加作家の川俣正氏を招いたりして、アートと地域との関わりを考え動いています。
最近では水戸芸術館との共催、横浜トリエンナーレでの関連企画展示も行っています。
ワークショップにて直接アートに触れる機会を増やし、しかもその内容も表面的なことではなく、身体を使ったり、より根源的な、創作とも言えない「表現」「表出」を目指しているのかな、と勝手に解釈してます。

でも近年、越後妻有でもそうですが、ワークショップや地域とアートの関わりを取上げた展示会や試みやその情報が多いのですが、出来たものやそこに置かれている作品はなんにも面白くないことがほとんど。
しかしここは良かった。
下の写真はそこでの展示作品なのですが、その視点、ものをみる世界観が独特でありながら、どこか共感を覚えるんです。子供の頃や、徹夜あけ、寝起き、過敏な精神状態の時にたまに出てくる感覚というか。現代美術家のようにそれを意識的に描いている感じは全くしなくて、ここの作家達はは非常に素直に表現している。久々に清清しさのようなものを感じました。
きっと両方の視点共、今の世界には必要なもので、バランスなんだとうな、と。
前者の視点に片寄っている僕にはむしろ受入れ易い世界でした。


校庭を眺めながら併設のカフェでゆっくり時間を過ごすのもよし、な空間です。
那珂川町馬頭広重美術館に行きました。

これは隈研吾氏の設計で2000年開館の歌川広重の肉筆画を中心とするコレクションを展示する美術館であり、当八溝地域の活性化を目的に建てられたものです。
建物は全面的に地元八溝杉を浸透式不燃加工(宇都宮大学との共同開発)したルーバー材にて覆っています。もちろん光の操作用途(表層の意匠用)なので、ルーバーの内側に本当の屋根材、壁材が納まっています。
緩い大きな切妻屋根にて押さえられた存在感と、近付くにつれはっきりしてくる木ルーバーの軽快さ、そこからもれてくる光陰がなかなかわくわくする空間です。


僕は7年前の開館当初に行って以来だったので、一番気になっていた、
木ルーバーの状態を中心に見てきました。
外装は木材を使っているとはいえ、薬剤をばっちり浸透させたものなので、
経年変化はどうなのか?
薬剤をばっちり使ってるとはいえ、やはり木材を外部に思いっきり使っているので
腐朽具合はどうなのか?
開館当初は白木の具合も非常にきれいで若い女性のような印象でした。
普通なら、時間と共に白木が落着いて、深みのある表情になっていくのですが。。。

現状はこう。
左の写真は南面の年中直射光が当たる部位。薬剤が浮き出てきて白結晶化してます。
右の写真は入口部分なのですが、右半分が日が当たる部分、左半分が日影となる部分です。
一目瞭然に差が出ていました。
日影部分は薬剤も表面で結晶化せず、白木っぽく維持されています。
日なたの部分はもはや木なのかどうかも分かりません。

建物は出来た時から崩壊に向かいます。
人間も生まれた時から死に向かいます。
化学的素材建材を用いたり、シリコンを入れたり化粧をしたりすれば、
一見老朽化は逃れられるように思えます。
しかしこれらは小さなヒビや汚れ、ちょっとした欠点1つで全く価値のなくなってしまうものです。
だいたい長くて20-30年。これにどれだけ近付けられるかで価格設定が変わります。
反面、木、石、鉄などの無垢素材や肌は時間経過により表情を変えます。
これは老朽ではなく、蓄積による味わいとか深みとなります。
表情の豊かさやしわに刻まれた人間の深みに通ずるものがあります。
崩壊は免れられません。
エアコンは壊れるし、歯は抜けます。
しかしそうった現象といかに上手に付合っていけるか。
人間も建物もナマモノ。
楽はさせてもらえないけど、手をかければケアしていけば、
それだけの喜びもまた。

ちなみに

トイレはこんな感じ。
これの続きです。
2007年4月中旬の仏滅のとある早朝、10数名の男衆が小道具片手に集いました。
現場にはコンテナいっぱいの木の廃材と100コの大谷石。
男衆は初対面とは思えないチームワークでシートを拡げ、大谷石を転がし、木材を選別し、切断し、孔を開け、ボルトで繋ぎ、カンナを掛け、塗装を施し、片や大谷石を配置し、孔を開け、鉄筋を挿入し、モルタルを練り、注ぎ、みるみるうちに部材が出来上がっていきます。

出来上がった部材はそれぞれテーブル、ベンチの天板、脚となっています。
ここからは男衆が一体となって担ぎ上げ、合体の作業です。
なんとも順調にテーブルセットが3つ、完成しました。
 
2セットは大谷石+木。1セットは廃品の木テーブルそのままです。
全体像はこんな。


この1週間前にはナナカマドの植樹とそのライトアップ工事も完了しており、
(この樹種は、初夏に白い花、夏に真っ赤な実がなり、秋には色付き、
枯れてまた若葉が芽吹く。四季折々の表情を見せます。)

南側の大壁面には見事なツタが。
これは個人的に何年も観察してるんですが、年々成長してます。


3つのテーブルセットが適度な距離を保って配置され、
ナナカマドやツタを眺めながらゆったりした時間を過ごす。。。
ふと上を見上げると白い壁に切取られた空が降ってきます。
50万都市のど真ん中で不思議な静けさ、落着きを得られる空間になりました。

インテリアのようなアウトドアのような。。。
都市のピクニックのような。。。
何かと何かが対立しつつ、共存している、不思議な感覚。。。
でっちあげられたものではなく、明らかに時間の積み重ねによってできた状況でありながら、
重々しい歴史ではない。
なにか人間に近い、「いたしかたのない状況」によって形成された、、、、

人工的には決してつくり出すことのできない、
でも大自然では決して味わえない、
そんな魅力のある場をこの街は結構抱えてるんだなと思います。

やっとここまで出来ました。
しかし、これで完成ではありません。
今はまだ、単に最低限の舞台が用意されたに過ぎない段階なのです。
これの続きです。
2005年の帰国直後、宇都宮市まちづくり推進機構「向明公園活用班」は消滅し「妖精のまちプロモーションワーキンググループ」(以下、WG)と名を変えてしまいました。しかしリーダーは変わらず、声を掛けて頂き、引続き参加することになりました。
名目は変われど、僕の参加目的は全く変わらないことを条件に会議に参加している中で、
当WGでは童話コンペ(絵本発行に続く)と当公園整備を2大プロジェクトとして活動することになり、童話に口を出しつつ、公園の方向性・手法提案と実行を担当することになりました。

ちなみに隣接商店街の状況はというと、だいぶ様子が変わっていました。
公園に面する大半の商店が撤退・閉店にて100円Pとなっており、ますます歩く人もまばらとなっていて、建替えの話が湧いたり消えたり。向いのブロックでは再開発ビルが建設中。その隣も計画が着々と進んでいたり。
いよいよこのブロックが取残される予感が現実味を帯びてくると同時に、僕の中では現在持っているものを活かしつつ、キャラクターを育てることのできる唯一のブロックとしての価値が上昇中。

そんな中、公園の提案を幾つか。

大谷石を全体に渡り高低差をつけながら敷詰め、「大谷石の丘」を形成。
古代アゴラの様に人々が集い、ものごとが巻起こってゆく舞台として整備。
そしてアプローチ焦点にシンボルツリー+ライトアップ。

お次は、

アプローチ軸上に大谷石敷きの歩道シンボルツリー+ライトアップ。そこから白い壁に向い、緑の丘が畝る。
両方とも敷地に高低差を設けています。土工事は少々面倒なのですが、利用者がここを使うヒントとなるものです。敷地内のどの地点に居ても大差のない場所を提供するのではなく、メリハリをつくり出すことにより、利用者が使い道を選択する。個々人がお気に入りの地点を見つけ、気分により使い分けてもらえればいいなと考えました。

これは入口。

ゲート的なものができないか、とのことで提案したものです。
サビ加工したコールテン鋼をライトアップしたものです。焦点にシンボルツリーも見えます。

正直、数年前の提案より随分とスケールダウンした感が否めません。
理由はまず、近隣との関係を持たずに公園の整備としてできることしかできないということ。
次に、行政(公園緑地課しか関与できない)としてはここは公園として整備を完了しているということなので、これ以上手を加えるなら自腹でしかも億分の0.00001%も事故の可能性のあるものはダメ、ということ。
しかし近隣の状況としては切迫しているのは現実。一気に進められるまでじっくり案と人をを育てている訳にはいきません(この時点で既に5年以上経っていますが)。この貴重な空間が周辺を、貴重な周辺が公園を道連れに衰退するのを見ているだけではまずい。いや考えてはいたんだけどね、とか、途中迄は動いてみたんだけどね、とかはここではやってはいけないなということで、
最初は地味だけど、何の直接的効果も出ないかも知れないけど、少しでもこれまで関わった多くの人達が多大に労力をかけてきた欠片でも刻印することで、何かしらの舞台としてスタートすることができないか、と絞りに絞り、諦めに諦め、2007年にようやく
1、シンボルツリー+ライトアップ
2、テーブルセット  が設置出来ることになりました。
これの続きです。
studio choraの活動からだいぶ空いて3年後の2004年、宇都宮市まちづくり推進機構の「向明公園活用班」に参加しました。東京での留学準備、そして渡英してしまったため、数カ月の参加でしたがその期間の話です。

ここでは公園は公園でできることをやっていこう。隣接する商店街と共同でないと動いていかないようなことではなく、まずこの公園を特徴付けることだ大切で、それを切掛けに隣接商店街が動き出していければなお良し。というような方向性で会議が進んでました。
詳細は昔のことで忘れてしまったのですが、やはり文化創造がキーポイントとなっていて、
公園の3面を25m超の高さで囲む白壁に「壁画」を描いてはどうか、という提案でした。
単純計算で1400m2弱のキャンパスが既にある訳です。

アーチスト制作にて、または主導にて大人数参加でのやり方、一気に完成させるのではなく徐々に絵が見えてくる経過を楽しめるやり方、植物のようなものを地面から描き始め、都市統計的な事由からそれが月毎に生長していくやり方等々を提案しました。

同時に中古コンテナを用いた作業休憩所というか拠点兼眺め場も提案。やはりここでも求心的な人(ここではアーチスト)が居て、行けば会えるという舞台づくりを目指したものでした。

それが派生して、近隣も利用して上写真のような展示会が行えるような舞台に育っていくことを夢見ていました。


同時にこの奥まって、そして突き当りで拡がる公園空間を増長するような、気分を盛上げるようなアプローチゲート計画も。これは骨組みを大工さん(プロ)にやってもらい、廃材の板の張付けと塗装を素人で行えるものです。トンネル状の空間と断片的に見える空、末端の大空間を期待させ、公園をより落着いて居られる別世界に変える装置です。

これはベンチ提案。やはり座れる場所が必要だろうということで出した提案の1つです。
よくある公園のようにしっかりしたベンチを固定するのではなく、学校のイスを多数置いておき、利用者が好き好きに配置を変えて座ってはどうかというもの。公共の場所に「自分の居場所」をつくり出す、最も簡易的な手法です。写真はNYのとある広場で行われた社会実験の例です。利用者は広場の縁に限らず、自分達で適度な距離感や角度を調整して効率的に使っている様子が報告されています。イスも盗難されることがなかったとのこと。

とかなんとか様々な提案を会議にて検討してきましたが、特に何も進展のないまま渡英の時期を向かえてしまいました。
しかし帰国した2005年秋、当時の班長より連絡があり、再々度活用のチャレンジが始まりました。
これの続きです。
前回は現状紹介と分析、さらにstudio chora時代のいわば自主提案について書きました。
その後、chora cafeの報告会を開かせて頂き、商店街の方々にソフトを含めたリノベーション素案を
プレゼン。
一ヶ月間多くの訪問者の方々と対話し、我々なりにこのエリアの可能性を既存建物を利用することで切っ掛けをつくり膨らますことができないか、と考えたものです。

耐震に関わる柱壁を残し、スケルトンにした上で、公園と大通りの利点を活かす提案です。
但し、既存が既存な為(築50年)、入居者層を大幅に絞りました。
クリエーター達が住みながら自主改装を進めていき、公園にて随時作品制作や展示を行っていくというものです。それを目当てにまず同類、そして来訪者(ここまでがパフォーマ−)が集まり、絶えずなにかしら行われている状態になってくる。そうなると彼らをターゲットとした商業が自ずと発生し、さらなる来訪者を呼ぶ、というシナリオ。
NYのSOHO、ロンドンのwest endのように、老廃したエリアにまずクリエーターが住みつき、それが関連者を呼び、ある種憧れのエリアとなってくる。それから商業が入り込んできて、綺麗になり地価が上がっていくにつれ、初期入居者は次なるエリアに移動する。その頃にはこれらの老廃エリアは超一級の高級エリアになっているというものです。
魅力ある場所には建物は大切だけど、それ以上に求心力のある「人」がまず必要という提案です。
その舞台となる為には最低限の水廻り設備とむき出しの構造体があれば済む(むしろそのほうが良い)ので、大々的に建替えをしてピッカピカの空間を用意し、大テナントを呼ばざるを得ないというようなハイリスク・ハイリターンの博打にでなくても良い訳です。
「ローリスク・ロングリターン」を目指す。
こんな内容でした。

時を前後して宇都宮市まちづくり推進機構にて「向明公園活用班」なるものが結成されていて、
僕は2003年に参加をしました。
かねてよりの念願であった、メルパルク日光霧降(ロバート・ヴェンチュ−リ他設計,1997年)に知人の御好意により宿泊してきました。
同じ栃木県内にありながら、ここに通じる日光霧降道路が昨年迄有料(900円位)だったせいで、見学さえも躊躇していたのですが、なんとか閉館最終日に行くことができました。
この設計者、代表作は1963年「母の家」「ロンドン・ナショナルギャラリー」にも。著書では「建築の多様性と対立性」です。僕の大学の時に教材にもなっていたものです。近代建築モダニズムの巨匠であるミースの「less is more」に引掛けて、「less is bore」と言ってしまったお洒落さんです。ポストモダニズムに影響を多大に与えた方です。

<外観>・・・庇型のハリボテ装飾
ニッポンで初めての設計に当たり彼なりにニッポンの調査をし、記号化を施しました。
上の写真は切妻屋根ですね。見事にぺらっぺらです。
そしてメインのビレッジストリート。

ラミネート印刷の、ニッポンの商店街の記号達です。
ポストや造花飾り、電柱、提灯、自販機等々、賑やかに装飾されています。
このアトリウムは屋外に連続していて、ハリボテも屋外まで配置されているのですが、ここは日光国立公園内、彩色は省かれています。
さらにスパ棟。

片面緑、片面黄色のもみじのハリボテに囲まれたプールです。外側柵にはお花の照明が配置。
意外に気持ち良い空間。
そして客室。

<テーブル><カーペット><カウンター引出し>
ハリボテを存分に見てから部屋全体を見ると一見拍子抜けなのですが、断面を強調した家具類、なんだか馴染みのあるパターンの壁紙・カーペットはなかなかなものかと。テーブル、ウチに欲しいです。

ここに行ってすぐ思い浮かんだのは、「越後妻有アートトリエンナーレ」の初回(2000年)。当時は結構外国人現代美術家を呼んでいて、彼ら独自のニッポン感により作品を制作。結果、カカシをモチーフにした作品が妙に多かった気がします。
しかし使い手の反応や効果が全く違う。越後はアートではこれまで全く関係のなかった住民がびっくりしながらもその存在を楽しんでいるのに対し、メルパルクは宿泊者にとっては全く関係のないもののように普通に浴衣で歩き、バイキングで食事をし、お土産物を物色しています。EVホール毎に置かれているブロイヤーチェアなんて誰も座った形跡がありません。これはこれで背景と行為とのギャップは見ていて楽しいのですが。。。あと全体を体験した中でのアンバランスさはスリリングです。
でもなんだろう、勿体無いなと思いました。貧乏性なんですかね。
「アート」と建築物の「装飾」との違いなんでしょうかね。
それならアートの方が好きです。
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宇都宮のこと、栃木のこと、街のこと、ロンドンのこと、建築のこと、不動産のこと、空間のこと、身体のこと、機能のこと、美術のこと、音楽のこと、映画のこと、妄想のこと、無駄なこと、予期しない出会い/組合せのこと、なんでもないモノゴトに惹かれます。
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