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栃木県宇都宮市の空間プロデューサーの日々報告
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京都報告も最後です。帰ってきてから1ヶ月以上経ってしまいました。
やっとこの旅も終われそうです。

帰りの車中で読む本を探していました。
1册は僕の好きな、高速道路のジャンクションの写真集。
もう1册は、赤瀬川原平著の「利休-無言の前衛-」
赤瀬川氏はかつてハイレッドセンターとして、横断歩道を掃除したり、千円札を精密に手書きで写して作品にしたら起訴されたり。現在では今和次郎の考現学に端を発する、「路上観察」の大家として君臨されている方です。
赤瀬川氏が利休? と驚き興味を惹かれ、大急ぎで購入し車内へ。

氏がこの本を書く切っ掛けとなったのは、
1989年公開の映画「利休」の脚本を、企画・監督である勅使河原宏氏から依頼されたこと。
勅使河原宏氏は草月流の家元、勅使河原蒼風の子でありながら、
イサム・ノグチと美術展をしたり、歩道橋をデザインしたり、さらに「砂の女」「他人の顔」など
これまた僕の好きな安部公房原作の映画を製作してたりしていて、無視できない存在の方です。
その方が、その当時は完全に路上観察に没頭していて、日本の歴史には相当疎かった(「考現」なので仕方ないですが)赤瀬川氏に脚本を振ったという、その人選が凄い。

そのタイミングは偶然にも、赤瀬川氏が路上観察を内省している時期。
路上観察は、作為のない現象を観察/解釈することで、
自己観察が深まっていく、そんな行為(遊び)です。
氏がハイレッドセンター時に行っていた、作為たっぷりのいたずらを日常生活にて行う。
その延長線上に生まれてきた行為です。
言い換えればこれは、日常の現象やそこからこぼれ出てきたモノ達にほれぼれすること。
なにやらこれは、利休が欠けたり歪んだりした茶碗を名品と感じた気持ちに似ているんじゃないかという言葉があるときぼそっと発せられた、その後に脚本の話が舞い込んできたそうです。

お誘いのいきさつはともあれ、
僕は驚きと喜びと気持悪さが同居したような、不思議な気持ちになりました。
前回書いた茶室への興味と、遊びとして自己訓練として行っていた路上観察。
その2者が、いとも簡単に出会ってしまった訳です。
真面目に空間創りに向き合おうとした上での研究対象である茶室。
真面目に空間にばっかり向かい合っていると疲れるので、遊びで(本気ですが)行っていた路上観察。
自分の中ではあくまで切り離されたモノであり、
切れていてるからこそ、両方を楽しめ、集中できるという存在でした。
それが繋がってしまった。。。
結構大事件です。
自分の中で、多方向に伸びた興味や知的好奇心。その分裂感。バランスの悪さ。
そんな状態が心地よくって楽しいのに、先っぽで繋がってしまいました。
これが円を描いているのか、周波のように一度目の交差が起きただけなのか。
後者をお願いしたいです。どうせやめられないですし。
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ようやくこの旅のメイン、茶室について。
茶の湯。室町時代に行われていた闘茶・書院の茶から精神性を志向した珠光。そして堺にて侘び茶を追求した紹鴎。その弟子で、茶の湯を大成させた千利休。弟弟子の薮内剣仲が薮内家を起こし、利休の子孫である少庵、宗旦、宗守等により表千家、裏千家、武者小路千家が興る。さらに古田織部や小堀遠州らが大胆で自由な茶風をあみ出してゆき、、、といったあたりが歴史としての茶の湯の流れです。もちろんここに、信長、秀吉、家康らとその時代性が深く関わってきます。

僕が茶の湯というか、露地や日本庭園にうっすら興味を持ったのは大学時代。
日本建築研修で奈良京都を訪れ、桂離宮と修学院離宮に行った時でした。
建築自体はもとより、気になったのは、そこに至る行程でした。
ここで幅を狭めて視線を絞り、曲がったところで一気に開く。不安定な踏み石を気にさせつつ、いつの間にかまた森の中に。踏み石を変えたり小さい門を潜らせたりして、その先は違うエリアになるんだよ、と伝えつつ、目標の建物へ文字どおり紆余曲折しながら辿り着く。
もちろん寺社建築にもアプローチによる意識の操作は相当仕込まれていて、
伏見稲荷なんかはアプローチ自体が目的になっている、顕著なものです。
その、空間的仕掛けによる身体そして意識の操作性、なんとなくそれに気付いていながらも没入してしまっている自分に気付き、その作為の鮮やかさに気持ち良ささえ感じたことを覚えています。

さらに大学卒業設計時から大学院留学を経て今だに僕の中で研究のテーマとなっている、
「空間と身体の関係性、その種・強度がどのように意識(気持ち)へ影響されるか」
の答えが、現代建築でもギリシアの建築でもなく茶室にあるのではないかという漠然とした仮説が。
浮び上がってきたのは、留学中にクラスメイトに自分の空間に対する考え方を伝えている時。
それまでは、自分の思う真の空間とその捉え方(仮説)は人間にとって根源的なものなので、
万国共通の概念であると考えていました。
共通の概念であることは確信を得たのですが、なにかが違う。
どうやら、この感覚を得る為のプロセスが圧倒的に違うんじゃないか。と感じた時に、
日本固有の空間の関わり方・捉え方が茶室にありそうな気がしました。
茶の湯はものすごく漠然とした世界で、突き詰めれば突き詰める程、凝視すれば凝視する程、焦点をぼかされてしまう。明確な目的がある訳でもなく、フォーマットもはっきりしていない。
しかし、得も言われぬ喜びを得ることができる。なんなんだ、この世界は。
そしてそんな文化が当たり前のように生まれ、定着してる日本は。と思った訳です。

茶の湯は一見、形式ばって堅苦しい、難しいモンだと思います。でも僕の解釈では、あれは只の形式でしかなく、要はどれだけ寛げるか。どれだけ楽しめるか。そしてどれだけ主人やお客の気持ちを汲むか。が重要。それらを成立させる為に、ツールとして流れや茶道具、掛軸などがあるだけで、それらが気持ちの邪魔になったりしたら意味がないわけです。しゃべりたければしゃべればいいし、しゃべりたくなければしゃべらなければいい。結局はどれだけそこに居るお互いが気持ち良く過ごせるか、が大切。というようなことを「美味しんぼ」でノ貫先生が言ってた気がします。

さて茶室です。実に様々なタイプがあります。

  <西芳寺(苔寺)湘南亭>  <同、潭北亭>

    <大徳寺高桐院>    <高台寺遺芳庵>

  <高台寺時雨亭>    <高台寺傘亭>   <大徳寺高桐院松向軒>
天井の高いもの、2階にあるもの、暗いもの、明るいもの、すごく狭いもの。
平面的にも、給仕口や床の間、炉、躙口などといった要素があったりなかったり。
見れば見る程、ぼかされていきます。
これらを見て廻り、裏千家会館などでお茶を頂きながらお話を聞いている内に
薄目で見えてきたことがあります。
それを最後の2室で書いてみようと思います。

  <南禅寺金地院八窓席>    <妙喜庵待庵>
八窓席・・・3帖台目、大きな窓、主人-炉-お客の位置関係 等々。
      明るく自由、ざっくばらんな雰囲気。
待庵・・・・2帖、小さい下地窓が3つ、炉-主人-お客の位置関係 等々。
      狭く暗い。2人だけの緊張感。
細かくあげれば要素の違いはキリがないのですが、
明らかなのは、この2室に居る人達の関係は全く別種だろうな、ということです。
八窓席は数名でわいわいと楽しそう。待庵は2人でじっくりできそう。
主人とお客の元々の関係にもよるので、どちらが良いとは言えないのですが、
要は2者がどのような関係を築きたいか、に尽きると思います。
その為に露地があり、茶室があり、茶道具があり、掛軸があり、所作があり、お茶がある。
それらがひとつの方向に向って「空気」を創り出す。
茶室に関していえば、幅/奥行/天井高さと向き/床の間とその位置/窓による光の調節/炉の位置/給仕口の位置・大きさ/素材と、空間を構成する要素は多岐に渡りますが、
その全てが「築きたい2者の関係性」という目的に向っているんです。
なるほど。「関係性」「空気」か。見ようとしても見えないはずです。
でもその、「空気をかもし出し」「空気を察する」という能力は日本人の特殊な能力のはず。
そこに少なからず関われる、空間づくりというのはやっぱ面白いです。
男京都一人旅。
見学見学で、かなり歩くので休みながら動かないともたない。
さらに完全に夜型人間。
しかし酒は飲めない。1人でバーなんて行けない。
そんなこんなで、自ずとコーヒーを飲みに行きます。

昼メシは三条河原町にある、文椿ビルヂング「neutron」へ。

建物は大正時代に建てられた、木造(!)洋館。元は貿易会社の社屋を2004年に商業施設にコンバージョンされました。2階建てのビル内に10店舗入っています。商業施設としては、普通。外観とメインエントランスのモザイクタイルはなかなかなモノですが、内部空間は仕上材が施してあり、あまり魅力的ではありませんでした。
その2階に5Mの天井高さをもつカフェ&ギャラリーが「neutron」。
天井とタテ細窓はいいもんでしたが、いかんせん空間が大きすぎて、1人では持て余す。
いくら壁際の奥に席を確保できても、落着かなかったです。何人かで来るのに向いてますね。

1人ホルモン焼き5人前の後は、木屋町通りと御池通りの交差点付近のビル10Fにある「ACE CAFE」へ。

ここの良い所はなんといっても眺めの良さ。鴨川越しに比叡山系を眺めながら。
そして営業時間の長さです。深夜3時まで、しかも無休でやっているので、
間違いなく営業しているカフェが必要な時はいいトコです。

「進々堂(京大北門前店)」へ。

1930年開店の、老舗喫茶店です。
ここは珈琲の味うんぬんではなく、ときかくその空気。
京大の真正面ということもあり、教授学生問わず大テーブルに頭を突き合せて書き物したり、読書したり、ノートPCになにやら打込んだり、仲間と検証したり。
創業の動機がパリのカリティエ・ラタンのカフェというのも納得。
今は非常に大人しいものでしょうが、学生闘争なり、持論を振りまいたり、思想に耽ったり。時代の先端がここで生まれ育ったんだろうなぁ、ということを感じてしまいます。
ともあれ、久々に頭の良さそうな人達に囲まれてみました。

鴨南蛮の後は二条通り柳馬場にある「cafe bibliotic HELLO!」へ。

ここは繁華街よりちと歩く立地。目的はここっ!と決めないと辿り着けないです。
元の建物は町家なのですが、ここは珍しく南面町家。
その外壁という外壁を全部剥がし、ガラスに入替えてます。
店内は壁一面本棚。そしてプラスチック感がレトロな照明と家具達。
奥行きと中2階があり、間仕切は取り払われ、
ずるずると繋がっている空間なのですが、不思議と落着きがあります。
町家を表皮から全てリスペクトするのではなく、「スケール感」という良さを
普通に活かせているお店です。

そして、河原町三条の1928ビル内「cafe アンデパンダン」へ。

建物は1928年築の旧・毎日新聞社京都支局。
ビル内にはレコードショップ/ギャラリー/アートスペースと、なんとも楽しいビル内巡りができそう。
カフェはそんなビルの地下。ラフなモザイクタイルの埋込まれた階段を降りてゆくと、
そこには大空間が。内装はコンクリートむき出しの廃虚感のある、これまたラフな空間。
奥にはプロジェクターで不思議な実験映像が流れています。
入ってすぐ、ここは僕の一番落着く空気だ。と思いました。
地下で、ラフで、薄暗くって、常時実験的な出来事が起こりそうな空気。
一目で、僕が毎日座っているであろう席を発見してしまった喜び。
こういうスペースは嬉しいですね。栃木では自分でやるしかないのかなぁ。

そういえば、京都のカフェ/喫茶店は、オーガニック的なお店でも全てタバコOKでした。
一応気にして、入る前に吸っていいか聞いたりしたのですが、
「なんで聞くの?」くらいの反応。
珈琲を楽しむ場所ってそうじゃないとね。というか、本来こうだよなぁ〜。
雑記です。ひと休み。

左は祇園を歩いている時に出会うことのできる、プチ鳥居です。
千本鳥居で有名な伏見稲荷のお膝元だけあって、土地はなくても狐さんの通り道を。

中は繁華街のビルの壁面。なんともキッチュ。
一応、京の街並へのリスペクトということだと思うんですが、もう口鬚にしか見えません。

公園。一見なんてことはないのですが、ここは茶道で有名な表裏千家の並ぶ通り。
お寺と庵に囲まれた保存地区にいきなり幾何学の球体が浮かんでいると、どきっとします。

左は高台寺開山堂と秀吉&北政所を祀る御霊屋を結ぶ「臥龍廊」。
斜面なりにうねる屋根がなんとも素直なつくり。

右は祇園のとある料理屋。
覗き込んでみると、結構モダンなお店が多いことに気付きます。

やっぱりいいなぁ、阪急電車。
別に鉄っちゃんではないのですが、この電車、すきなんです。
小豆色の車体に木目調の車内。そして緑のシート。
僕の好きな、カリモク60モケットグリーンソファと似た緑のシート。
やっぱ大阪方面へ行くには遅くてもJRより阪急電車ですね。

京都の羨ましいところは、本屋さんや喫茶店等、本と関わる施設の多さ。
左は「私設図書館」!!! なんていい響き!
1973年開館した、民間の自習室です。こんなの自分の住む街に欲しい。
右はアート/デザイン書のセレクトで有名な「恵文社一乗寺店」。ここだけではなく、
京都には趣向の片寄った本のセレクトショップが新古問わず点在しています。
良い本を発見できて、美味しくて落着く喫茶店がある。
個人的に、住みたい街の基準はコレです。
リノベーション事例見学です。
TOKI-WA-SOHという、かつて遊廓だった築年大正時代の建物をクリエイター向けのSOHOにリノベーションさせたものです。
出会いは出発直前に発売されたカーサ・ブルータス。
その強烈過ぎるといっていいほどの個性に惹かれ、見学希望の申し込みをしてしまいました。
数年後に迫った自分のシェアオフィス立ち上げの為、現在進行中のリノベーションプロジェクトの為、単純にオーナー岩田氏への個人的興味の為、様々な目的と純粋な好奇心を持って訪れました。

    <正面外観>           <裏側オフィス入口>
立地は、繁華街である四条河原町から鴨川を少々下った辺り。この辺は喧噪から離れ落着いたエリアではあるんですが、高層マンションなんかも建ち始めているなかに昔の歓楽街の面影も若干残しつつ、といったように、バランスが崩れ始めているエリアです。その路地にあります。
外観は正面が丸窓にタイル張りと、洋風。玄関先のモザイクタイルの色合いが娯楽感アリです。
裏側が日本家屋。紅柄格子と枯れた土間が素敵です。ここはオフィス専用の入口ですが。

   <応接室の床の間>    <応接室から坪庭を>    <CAFEスペース>
まず案内されたのがこの部屋。応接室です。
いやいやいやいや、すごい。。。
李朝家具に金箔貼りの床の間。落し掛は黒塗+金塗。隣の床の間は紅色。床柱はトルネード。
ここは有料の共用スペース。1人でも、シェア仲間とでも、悪企みができそうです。
岩田氏のお話では、京の「侘び寂び」というよりも「バサラ」な感じに共感を覚える、とのこと。
だから利休よりも秀吉の聚楽第のイメージがむしろ落着くということでした。
分かる気がします。
利休は当時は最前衛の芸術家。秀吉はいち農民上がりの俗人。
その秀吉が好んだ「バサラ」感。
俗世的な欲とか体裁とかを脱ぎ去ってこそ、真の人と人との関係性ができる、という利休。
いやいや、四六時中「真」に迫っていたら疲れるっしょ。欲とか体裁に素直に従った方が気持ち良いじゃん、という秀吉。
確かに秀吉の考え方の方が、日常を生きていく中では楽な考え方です。

右は共用のカフェ。いやらしい感じですが、これは落着く。

   <講議所建具>      <講議所>     <入口タイル>
オフィス脇の箱階段(まずこれを持っていて、置く場所というか、相応しい空間が欲しかったのでこの物件をつくったらしい)を上ると講議所が。幕末の寺子屋みたいな感じ。実際に、政経塾のようなこともされているとか。隣にはシャワールームもあります。

   <トイレ手洗>     <新規丸窓>    <既存丸窓>
この手洗器、テレビのブラウン管の再利用です。
左の丸窓はカフェ部分。新規に設置。枠がモザイクタイルになっていて、反射感も堪りません。
右の丸窓は大正時のもの。モダン。

<オフィス廊下>      <オフィステナント例>
木の良いツヤのある階段を上り、6部屋あるオフィステナント部分へ。
廊下もなんとも渋い。
各扉を開けると、右のようなテナントスペースが。
無垢板の床に白壁のシンプルなオフィスです。
共用部分からすると拍子抜けのような気もしますが、ここの雰囲気は入居者にお任せということでしょう。家具、照明、壁の色などお好みに変えてしまえば良い訳です。

これらの造作、実はほぼ岩田氏が自らやったそうです。
家具や建具や照明はもちろん、金壁の床の間や水廻り、丸窓のガラス、坪庭の灯籠、トイレの新聞紙などは全て岩田氏がもともと持っていた物。
しかし氏はデザイナーではなく骨董屋さん。よくぞここまで。いや、デザイナーじゃないからこそここまで出来たんだろうと思います。
デザイナーの欲ではなく、個人的趣向の欲。これはある意味すがすがしい類のエゴです。

ここがどんな方々に借りられ、その方々がどのようにここで過ごし、仕事の質が変わっていき、どのような自然発生での絡みを見せてくれるか、非常に楽しみです。
僕の中でのリノベーション手法としては、振れ幅のかなり振り切った例です。

こういう方から見て、METで紹介しているような物件はどう見えるのだろうと思い、掲載雑誌を見てもらいました。
感想は「こんなもんしかないんだ、寂しいもんだ。」
京都の方にとっては、築80-100年物件は当たり前。その中から良い悪いの判断となります。
古いから悪いということもなく、逆に古いから凄い、ということもない。それはそれでいち物件。
ヨーロッパの都市もそうですが、常識のラインが栃木とは大きく違います。
少なくとも共通しているのは、物件自体の価値(資産価値)うんぬんよりも、
「それをいかに使うか」という利用価値や居住価値が最も重要視されている点です。
この点でならいち地方都市でも太刀打ちできる土俵だと実感しました。
今回は泊まった宿について。

胡乱座(うろんざ)といいます。
1898年築の町家をまじめに改装(補修)した宿です。
魅力はなんといっても「町家に泊れる」に尽きます。
しかし部屋は相部屋。知らない人と布団を並べて眠るのです。
幸い、当日は僕も含めて2人しかいなかったので、6帖間は一人占めでしたが。
もう1人は結局顔も見ず。
でも誰かが相部屋でも、それはそれで許せる感じでした。
なんせ宿代は2000円台。
でもお風呂もトイレも洗面ももちろん共同ですが、きれいなモンを使ってるし、
なによりも坪庭脇の喫煙所でのタバコ時間が幸せでした。

通り土間    火袋(高さ7M!)    坪庭

俗に言う「うなぎの寝床」。間口が狭く、奥行きが非常に長い。
玄関を潜り、通り土間(外)を抜け、奥の棟に宿泊部屋があります。
お風呂、トイレ、洗面は通り土間沿い。
つまり、寒いんです。京都の冬は寒い。
しかし京都の夏は、盆地の夏。かなりキツい。
だから町家は夏をいかに涼しく過ごすか、を重視しています。
結果、坪庭を中心に生活が営まれます(ある種排他的な気性もここに由来するのかも)。
坪庭と火袋がつながり熱の抜け道となり、風が抜けます。
しかし冬も同様に熱が抜けるのですが。。。
寒さはともかく、坪庭を囲んだ生活スタイル、空間の細長さ(上にも奥にも)が
妙に身体にフィットするのです。
いい感じのスケール感、親密感。そして圧迫感。
それらが不思議な落着きをくれます。

1泊しかしませんでしたが、次回はオフシーズンでない時期に来て、
宿泊客同士がどのようにここで過ごすか、を体験してみたいです。

しかし、町家の写真はどうしてもタテになりますね。
京都一人旅報告です。
目的は茶室巡りを中心に茶の研究とリノベーション事例体験。
何回かに分けて書いていきます。

1864年生れの日本画家、竹内栖凰の東山私邸が、
レストラン「The Garden Oriental」として生まれ変わりました。

手掛けたのは東京にある会社。業務内容はホテル・レストラン・ウエディング・コンサル等々、精力的な会社です。レストランに関しては、東京・京都・神戸・福岡と大都市だけに留まらず長野・徳島にまで展開しています。基本は歴史/由緒ある建物のリノベーション。徳島では工場跡だそうです。

平日のカフェタイムに行ったせいか他のお客はほぼ居ず、貸切り状態でした。
僕はこの中庭に面した格子窓脇のテーブルへ付き、チョコ系のデザートとコーヒーを。

なんていうか、とてもいい。。。なんだろう。
空間と味とサービスとか、とても一体感があるというか。
どっしり感と適度な湿り気、ツヤ、歪み、におい、柔らかさ、流れ、暗さ、、、
そういった要素が全てひとつの方へ向っている感じ。
うまく言えないが、とても質のよい「居心地が良さ」を久々に味わいました。
決して高飛車でも背伸びでもなく、本質的に落着きがある空気感です。

しかし、いいなぁ〜。という素直な感想と
こういった空間がきちんと成立していることの励みと同時に、
悔しさが僕の中では大きかったのが正直なトコロです。
栃木にこういった物件がない悔しさなのか、
こういった感覚を30過ぎても久しぶりにしか味わえない悔しさなのか。
間違いないのは、ここまでの質と一体感をもつ空間創りに今だ携れないもどかしさ。
京都とは空気の流れが違うから、全く同じモノはできないし、求めない。
でも材料は違えど、栃木で同じ質と一体感のレベルに達することは可能です。
店舗でなくても、住宅でもオフィスでもOK。

マネージャーの方にお願いし、邸内くまなく案内して頂きました。
僕の居たのはバースペースで、別にダイニング、パーティールーム、個室等々。広い!
又東京の会社ということで、ある種排他的な京都で、しかも祇園エリアでやっていくのに問題はないのか尋ねたところ、新築ではなく近隣の方々も気にしていた「由緒ある廃虚」を活かしたこと、会合には必ず参加していることでうまく付き合っていけてるとのこと。この姿勢は素晴らしいと思いました。
使用している敷地内だけではなく、近隣も含めて価値を見い出し、そこへも労力を惜しまないこと。
極端にいうと地域の文化を貪り喰うとも言える、チェーン店にはない考えだと思います。
それが出来たことで周辺のステイタス(地価とも言えますが)を上げていく意識がないと。

こうみると、この建物は侘びとかさびとかではなく、
「艶」「艶やかさ」「色気」(同じ意味ですが)を持っています。
削ぎ落したミニマルでストイックな美しさって確かにあるのかも知れませんが、
人間それでは退屈。疲れてしまいます。
実は遊び心や欲望を「ちょいと出す」そして「煙に巻く」そんな所作にこそ
日本人は親近感や色気、美しさを感じるのかもしれません。
「くすぐられる」とか「ぐっとくる」とか。
一番大切にしたい感覚です。
都市はトランプ。
僕はこんな風に捉えています。
 
は? 何のこっちゃ? へぇ。 ほほぅ。 なるほど。 そう来たか。 様々。

トランプはマークと数字のみ書かれた52枚のカードがあるのみ。
これを楽しめるツールにするために、「ルール」があります。
一度そのルールを「設定」してしまえば、あとは勝負や占い、手品など、目的が生まれます。
トランプのマークと数字は「多様に遊べるように」という、漠然とした目的でできています。
それよりも人は、ルール上での目的にのめり込みます。
この、「のめり込む」という感覚も重要。

都市は大上段の目的というか、テーマはあるけれども、
これはとある1部の方々によって設定され、とある1部の方々の為にあるもの。
僕らにとってみれば、トランプで言う「多様に遊べるように」程度のものです。
道路や建物、店、バス停、天気、人、住まい、学校、職場、樹木、川、ゴミ捨場などは
トランプでいうマークや数字に当てはまります。
それぞれだけでは、何にも楽しいものではありません。
しかしどの都市でも、材料はあるわけです。
でも、皆が遊べる「ルール」を発明できれば苦労はないのですが、
それを行うのがメディアだったり、クリエイターだったり、発信側の人間の職能です。
受入れられようがられまいが、「こんなんどう?」とルールを提示し続けることが責務。
それにはまず、マークや数字が何かを知ることをしなくてはなりませんが。

とにかく、「都市がつまらない」というのは、
「都市がつまらない」のではなく、「都市をツールに楽しめない」ということ。
それには、よくある街づくりみたいに、
カードの「絵柄」を素敵な風景に変えても何も変わりません。
そこは世界遺産だろうがスヌーピーだろうがヌードだろうが同じです。

多種多様な遊び方の発見と設定。
それが個々人のTPOで選択できること。

これが重要。

僕もなんとか「ルール」を発見しようと苦心しています。
ノモプロジェクトしかり、METしかり。向明公園しかり。
それらをより気持ち良く楽しめるように
「マークや数字」のデザイン(設計)をしたり。
やはり「絵柄」も最終的には気になってくるであろう、
ということで市の政策にも関わったり。
より多くの人が都市に「のめり込める」ように。

調べてみると、こんなに多様な「遊び」が。
1人でも大人数でも、都市にはまだまだ楽しめる余地があるんです。
エース・アップ、キャンフィールド、フリーセル、ゴルフ、クロンダイク、 ピラミッド、4枚並べ、カップル、四つ葉のクローバー、クロック、フラワー、スパイダー、ジン・ラミー、スパイト・アンド・マリス、スピード、 戦争、クリベッジ、 カジノ、 スカート、ナインティ・ナイン、ホイスト、コントラクトブリッジ、 スペード、 ハーツ、 ピノクル、 ポーカー、ババ抜き、ナポレオン、ブラックジャック、カリビアンスタッド、大富豪、ババ抜き、ジジ抜き、セブンブリッジ、ラミー、7並べ、ダウト、戦争、大富豪、豚のしっぽ、神経衰弱、うすのろ、ページワン、ドボン、ウインクキラー、51、銀行(おかね)、アメリカンページワン、ブラックジャック、バカラ、ナポレオン、ツー・テン・ジャック、絵取り、点取り、ゴニンカン、オイチョカブ
当社「空間プロデュース ビルススタジオ」は名刺を大切にしています。
以下、これまでの名刺です。

下に置いてあるものから奥から手前に向って新しいものです。
最初はピラの両面。
次に白黒で当社ロゴである三角形をかたちづくりました。
あいさつ時に名刺入れから取出し、1人1人立体化してから手渡します。
若干まどろっこしいのですが、今ではひと流れの所作です。
更に当社カラーのエンジにて1色刷り。
そしてこの2月より、新たな手法に変えました。
それが一番手前のものです。
写真では一見、全く変わっていません。
しかし、、、


そう、ハンコなんです。
とうとう作ってしまいました。

たかが名刺とはいえ、されど名刺。
人に最初に手渡す、手土産みたいなものです。
その手土産にはその渡す人の人と成り、想い、センスが出ます。
僕はそこに自己主張だけではなく、
なにか相手にも関わる基本姿勢のようなものを「滲ませる」ことができないかと。
結果、1枚1枚手作業にて押し、作成する<ハンコ>となったのです。
印刷で業者まかせでひたすら量産されるのではなく、
同じ紙に全く同じ絵を、全く違う趣味趣向をもつ方々に押し付けるのではなく、
1つ1つの特殊解を「いい押し具合で」創り出していければ。
実は只のこじつけであり、自己満足なんだけど、
名刺ひとつにしても、気持ち良く渡したい。気持ち良く渡せる時間をつくりたい。
そんな感じです。

ハンコ製作を手掛けたのは、JR宇都宮駅前にある鈴木印舗さん。
いや、プロ意識の塊です。
文字の小ささや図まで入ってと、かなり無茶な注文をしたのですが、
挑戦してみましょう、と。
そして思った以上に質の高い出来に興奮しました。
こういう意識の高い専門職の方と出会えたことが実は一番の収穫だったりします。
水戸芸術館で2008.01.27まで開催中のロボットデザイナー・松井龍哉展に行ってきました。
松井氏の会社「フラワー・ロボティクス社」では、ロボットデザインのみならず、
独自の都市研究、CI、建築までも含めた活動を世界中で行っています。
驚いたのは、僕の高校の同級生が建築分野でのスタッフとしてまだ働いていたことです。
6年前位に偶然会って、この会社で働いていた事は聞いて驚いたのですが、
まだ松井氏自体、ここまで大きく活動をできていない時期だったので、
彼も一緒に大きくしていったと言っても過言ではないでしょう。
同級生にこういう立場にいる人がいる事を知ると、とても刺激を受けます。
そして、「ロボットデザイナー・松井龍哉」「アートディレクター・佐藤可士和」と、
一般的認知度の低かったポジションを自力でつくり上げた例を見ると、
直接的に刺激を受けます。

その後、3年前まで芸術館の隣で「ミニチュア・カフェ」を運営していた
グラフィックデザイナーの方と待ち合わせ、
近くにあるセントラルビルに連れていってもらいました。

築40年にもなる木造アパートをリノベーションし、現在6店舗入っています。
内容は、カフェ、雑貨屋、バー、オリジナルグッズ店、足ツボ、フラワーアレンジメント。
あとギャラリーも。各々じっくりと営業をしている感じです。

実はこのビル、「チャレンジショップ」なんです。
難しくいうと、商工会の創業者支援事業(インキュベーション)。
どの都市でも行っている事業なのですが、
大抵、なんの変哲も無い場所で本人達がいじれる要素もあまりなく、
更には、経営サポート・アドバイスみたいなこともあまりないのが実情です。
つまり、コンセプトがない。
ここでは、「創業支援コンサルティングチーム」がいて、
「活発に活動する元気な商売人」と「価値ある建物の存在」がコンセプト。

「方向性のはっきりした商売をしたい人」と
「方向性(味)のある建物」をマッチングさせることで、
起業者はやりやすいし、空き物件も埋まる。
さらには、似たテイスト・センスの起業者が自ずと集まり、そこから自ずと相乗効果が生まれます。
コラボレーションはもちろん、お客の紹介、経営相談等々、
やりたいことや、センスが似ているからこそ出来るコミュニケーションがあります。
個人事業主にとって、そんな人達が近くにいるという事自体とても得難いものです。

そして「分かりやすい事」がかなり重要な要素です。
お客はもちろん、店主同士にとっても「分かりやすい」ことで、この場の利用価値が生まれます。
1社では足りない手段は隣に協力してもらえばいいんです。

前にも書いたように、1,2年後には街なかにシェアオフィス(+ショップ)を設け、
事務所を移したい僕にとって、
いち地方都市でしかも隣の県で、こういった場所がいい感じで動いている事例があることは
とても勇気づけられますし、悔しいです。
あ〜早くやりたい。
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当社も入居するシェアオフィスが2010年4月スタートしました。入居希望の方、連絡下さい。
ユニオン通りにてフリーペーパー制作室を開設。編集&製作協力者、募集中です。
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自己紹介:
宇都宮のこと、栃木のこと、街のこと、ロンドンのこと、建築のこと、不動産のこと、空間のこと、身体のこと、機能のこと、美術のこと、音楽のこと、映画のこと、妄想のこと、無駄なこと、予期しない出会い/組合せのこと、なんでもないモノゴトに惹かれます。
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